
気流舎のミッション
まずは知の限界を確認することから始めたいと思う。
知がそれ自体として解放する力をもつということはない。
知が生き方を変える限度においてだけ、
それは解放する力をもつのだ。
—真木悠介
あるいは、
理解するとは変わること
—サルトル
とかね。
そもそも、知はさまざまあるはずの理解する方法のうちの
一つにしかすぎないということも忘れずにいたい。
われわれをある体験の瀬戸際まで導いたところで、
知性の役割は終わり、われわれはそれらを
捨ててしまわなければならない。
—アンドルー・ワイル
しかも古書店は、実はそんな知すら担えず、伝えることすら出来ず、
ただその経路を用意するのみなのだ。それでもなお経路ゆえに、
その営みを、書物や思考や人々をつなぐ試みとして、
あるいは、自らやそこに関わる人々が、学び、考え、
解放されゆく過程として捉えることができたらいいと思う。
ミッション?

基本的に、古書店は知にまつわる行為なのだけれど、
分かりあいたいのは実は知なんてそんな重要じゃないよね
ってことで、でもそれを伝えるには知はすごく重要だよね
ってことで、だから、重要なんだけど、ほんの一部だよね
ってことで、しかもここで言う知は収蔵できるようなそんな知ではなくて
なにかこう、流れの中の渦(うず)のような、
流れの中でしか形作られないようなそんな性質のもので
だから古書店が書物というモノで知を伝えるなどということ
はできなくて、でもそれゆえに形作るための流れには
なれるんじゃないか
とかそんな感じ。わかる?
まあでも、そんな考えも実は後付けで、
単にやってみたいなあ、楽しそうだなあ、
ってだけなんだけどね。
だからミッションなんかじゃない。
気流舎が対象にする範囲について
【対抗文化】counter culture
ある社会の支配的文化に対し、そのオルターナティヴとなる可能性をもつ文化を指す。したがって、概念的には支配文化の一部を形成するサブカルチャーとは別のものである。この概念が社会的に確立されたのはローザックの「対抗文化の形成」(1968)においてであり、当時の担い手は、合理主義と効率中心の産業社会を批判する政治的ニューレフトや審美的・生活実験的ヒッピーであった。対抗文化は、思想的にはソローやホイットマンを、直接的には1950年代のビート世代を継ぐものであり、70年代の自己沈潜期を経て、80年代にはエコロジー運動やフェミニズム運動、生活者を拠り所とする地域でのネットワーク形成の動きの中に具体的な展開を見ることができる。
—「社会学事典」弘文堂(高田昭彦による)
気流舎は「対抗文化専門古書」と銘打っているわけですが、
「対抗」っていうのは実に余計な誤解を招く表現だと思う。
より正確には、
今は支配的な文化に対して代替可能な
もうひとつの世界を構想するための本、専門店。
60年代カウンターカルチャーへの懐古的専門店*ではありません*よ。
あくまで現在進行形。カウンターよりオルタナティブ。
対抗より代替の方が近い。
でも「代替文化専門」ではもっと分かりづらいのと、
60年代からのつながりが見えなくなってしまう。
だから、先行世代への敬意も込めて「対抗文化専門」にしました。
専門なんていってしまうと、自ら対象を狭めてしまう
(あるいは、狭く捉えられてしまう)恐れがありあますが、
エコロジーからレイヴ、市民運動まで広く通低する
わりと長い射程をもった言葉だと思うし、
あるいは新たにそう捉え直して、
広くオルタナティブな生き方に関わる
いろんな本を扱っていきたいと思います。
具体的には以下のような分野。
気流舎としては「具体的な展開」の続きとして、
セカンド・サマー・オブ・ラブ以降のレイヴカルチャーとか、NPO/NGO、
インターネットやUNIXにおけるオープン思想とかもあげておきたい。
カウンターカルチャーの思想は今でもいろんな所で息づいているし、
これからますます重要になっていくだろう、
っていうのが基本的なスタンス。
ヒッピダム、サイケデリックス、ビート、コミューン、バックパッキング、アナキズム、シャーマニズム、ニューサイエンス、レイヴ、オープンソース、カルチュラル・スタディーズ、パーマカルチャー、性、からだ、意識、宇宙、神話、東洋思想、環境問題、市民運動、NPO、カスタネダ、ソロー、レヴィ=ストロース、真木悠介/見田宗介、中沢新一、芦沢一洋 ほか。
とか書いてますが
実際のオープンのときには
「対抗文化専門」という表記はやめようかと思ってます。
もっともっと思想的に自由でありたいと思ったので。
ことば
知識を増す者は憂いを増す。
—旧約聖書
すべての理論は灰色で、生命の輝く木は緑だ。
—メフィストフェレス(ゲーテ『ファウスト』)
話をするのが不可能なことについては、
人は沈黙せねばならない。
—ウィトゲンシュタイン
喋れば喋るほど、考えれば考えるほど、目的から遠ざかる。
口を閉じ、思考をやめよ。そうすればすべてがわかる。
—僧璨
理解が言葉を超えるまで、
言葉は果てしなくつづく。
—タシ・ラプギャス
意味の誘惑を挫け。
—ロラン・バルト
知識の唯一の源は体験である。
—アインシュタイン
理論とは、直接的体験による確信の哀れな弁明である。
—無名子
科学の正統性はただ美によってのみ担保されている。
—無名子
知に裁かれたる美は、
自然の前には醜きものと呼ばれるであろう。
—柳 宗悦
読み解くことなど絶対にしない。写真はただ見るだけさ。
—アンディ・ウォーホール
言葉が終わるところで、音楽が始まる。
—ホフマン/ハイネ
よく陽のあたるこの部屋では、
音楽はマジックを呼ぶ。
—FISHMANS
考えてるヒマがあったら踊れよ。
思考なんて踊る勇気のないヤツの慰めさ。
—無名レイバー
5歳のガキならこのことが理解できるかもしれないぞ。
5歳のガキをここへ連れてこい!
—グルーチョ・マルクス
考えるな、感じるんだ。
—ブルース・リー
ただ世界を止めただけさ。
—ドン・ファン
完全に知るための唯一の方法は
愛の行為である。この行為は
思考を、そして言葉を、超越する。
—エーリッヒ・フロム
愛は言葉ではない。
—無名子
美と調和のなかを歩んでいけますように。
—ネイティヴ・アメリカンの祈り