いやもう、お恥ずかしい限り。
なんなんだこの情けない展開は…。
自分でも結構落ち込んだりしてます。
でもまあ、なんとか生きてます。
つづきは気流舎のブログででも。
コメントくれたみなさん、
本当にありがとうございましたー。
いろいろあって、
うわさのビーマン・バングラデッシュ航空。
大丈夫かしらん。ちゃんと飛んでよねん。
…あっけないなぁ。
アンコールワットだけでも
見ようかとも思いましたが
なぜかあまり食手動かず。
インドに飛んでもいいんですけど
年末までずっとインドってのもねぇ。
たぶん年末にまた行くことにします。
いやはや
まさかこんなに早く帰ることになるとは。
バンコクまでなんて、ほんの
助走/序章のつもりだったのにね。
7ヶ月分のお別れをしてきたのに
お恥ずかしい限り。情けないなぁ。
中国入国
ラオス→中国の陸路入国はアジアでも最難関らしい。
ベトナム→中国間は線路が不通になっていて
国際列車は通っていないらしい。
てことは、行くならバンコクから空路。
チベット
ツアーを組めば入域はできるらしいけど、
ネパールに抜けるのはなかなか困難らしい。
公安が見逃してくれるかどうかはほとんど運?
うーん…
で、
そこまでがんばって行きたくないなあ、
と思ってしまいました。
7/23
フルムーンパーティ。なんつーか、
ばっかじゃないの(含む俺)、つーか…。
7/24
バスのチケットが取れずにまた暇。
7/25
これから夜行バスでバンコクへ。
暇とか孤独とか全然大丈夫だと思ってたけど
そんなことなかったみたい。

感ずることのあまり新鮮にすぎるとき
それをがいねん化することは
きちがひにならないための
生物体の一つの自衛作用だけれども
いつでもまもつてばかりゐてはいけない
いつでもまもってばかりいてはいけない、と。
(がいねん化する)ということは、自分のしっていることばで
説明してしまうということである。たとえば体験することが
あまり新鮮にすぎるとき、それは人間の自我の安定を
おびやかすので、わたしたちはそれを急いで、
自分のおしえられてきたことばで説明してしまうことで、
精神の安定をとりもどそうとする。けれどもこのとき、
体験はそのいちばんはじめの、身を切るような鮮度を
幾分かは脱色して、陳腐なものに、「説明のつくもの」に
なり変わってしまう。
にんげんの身をつつんでいることばのカプセルは、
このように自我のとりでであると同時に、また
わたしたちの牢獄でもある。人間は体験することのすべてを、
その育てられた社会の説明様式で概念化してしまうことで、
じぶんたちの生きる「世界」をつくりあげている。
ほんとうの〈世界〉はこの「世界」の外に、
真に未知なるものとして無限にひろがっているのに、
「世界」に少しでも風穴があくと、わたしたちは
それを必死に〈がいねん化する〉ことによって、
今ある「わたし」を自衛するのだ。
--
たまたま持ってきていた
見田宗介『宮沢賢治』岩波書店
に、あまりにも今の僕に必要なことが書いてありました。
そうです。解釈する必要なんてないのかもしれません。
体験を体験のままに、ありのまま受け入れる勇気を
僕は持っていなかったようです。
なんかもっとこう
悲惨というか、凄惨というか、
なんともツライ感じだったんですけどね。
あれを文字で表現するのは
難しいかも。
で、コメントに対する答えなんだけど、
重要だと思うのでこちらに書いときます。
なんであれだけのこと(特別危険な目にあったわけでもなく、
単にツライものを見てしまったというだけのこと)が、
これほどまでにショックなのか。
わかりません。
でもね、確実に言えるのは、
それが「現実」だってことです。
逃れようもない現実。
というか、
自分が逃れようが、逃れまいが、
意識しようが、しまいが、
そこにある現実。
自分がいままで認識していたものとは
違う現実がそこにあったんですね。
それでもその現実のなかに自分も含まれているわけで、
あのイヤァな感じはたぶん自分にも向けられている気がする。
で、カスタネダの著作なんかでもわかるように
何を現実(リアル)だと認識するか
というのは結構自我にとって根本的な問題で、
そこが揺らぐのはかなり危機的な状況だと思うのですよ。
だから、あれだけのことで
イヤァな感じにはなるし、
ボディブローのようにも効いてくるのではないかと。
どうかな。
]]>

フルムーンは21日かと思ったら
パーティは23日なんだそうです。
途中を飛ばしたこともあって
思わぬ長居。
ハンモック買ってしまった。
]]>チベットが抜けられないらしい
というかラオスorベトナムから
中国に入るだけもかなり困難
というのがわかってきたこともあって、
バンコクまで行ったら
一度日本に帰ろうかと本気で思ってます。
あーなんて情けない展開。
お恥ずかしい限り。
というのはわかっていたつもりだったけど、
やっぱり全然甘かったようです。
その昔、シッタルダ王子は
王宮の外に広がる悲惨な現実を知り
出家を志し、のちに悟りを得たそうですが、
その日、ジャカルタに着いた僕がしたことといえば、
85ドルも出して日系ホテルに泊まり、
スターバックスで心を落ち着かせたのでした。
世界の闇におののく
弱く、小さな自分に落胆していました。
でもその中心街にスラムがあるんですね。
ちょうど列車が中心駅につく前に
その線路のすぐ脇に
かなり凄惨なスラムが続いていて。
そのギャップがまたつらい。
街なかにはやっぱり障害者が
物乞いをしていて、
あり得ない角度に腕のまがった人、
背中と胸が異様に盛り上がった人、
指のない手を何かでほじっている人…
どうも僕は障害者に弱いようで、
もうそれらの人たちを見かけるたびに
落ちてゆく自分がわかるのです。
乗ったのは二等列車。
といっても等級は二つしかなく、
つまり、地元の人が使う安いほう。
もちろんエアコンなし。
寝台ではなくビニールシート。
薄暗い蛍光灯、あふれるゴミ、
トイレから床に流れる水、
そこに新聞紙をひいて寝る人。
通路や座席の間にあふれる人々…。
旅行客は僕ひとりで車掌さんも含めて
英語はまったく通じず。
ひっきりなしにやってくる物売り。
水、カップラーメン、ごはん、おかし、
めがね、おもちゃ、ウクレレの流し、
いきなり大音量で歌う人…
とにかくあらゆるものを売ろうとします。
そのたびに断るだけでも一苦労。
そして、物売りよりつらいのが
さまざまな物乞いの人たち。
眼の見えない人、足のない人、
子供をつれた母親…。
電車が止まるたびにこれらの人たちが
大量に押し寄せて手を伸ばすのです。
そんななかで12時間。
正直かなりつからった。
寝れるわけもなくただひたすら
夜明けを待っているような
そんな感じ。