ちかごろの気流舎

これからのイベント

8月21日(木)21時 セイブ・ザ・下北沢 第13回勉強会
8月23日(土)20時 第九回「ひくのかい」の定例句会
8月30日(土)15時 古典読書会
8月30日(土)19時 「映画のポケット」Vol.12「早すぎた自叙伝」

・水曜定休でしたが、しばらく月曜日を定休にします。水曜日は営業いたします。
・気流舎のメーリングリストもあります。ご参加ください。
・移動仮設型ブックカフェつくってます。→「さわさわ気流舎(仮)計画


Thu, 02 Dec 2004

言葉と思考と神さまと

ふとした言葉にハッとすることがあります。

たとえば、【無邪気】むじゃき
自分がまるでそんな人間ではないので、
無邪気な人に出会うとすてきだなって思う。
辞書的には「邪気」は悪意のことのようだけど、
ふつうの使い方では悪意があるかどうかに関わらず、
余計な思考のこと一般を指しているように思う。
で、それを「邪気」と表現しているのはすごいなと。
子供といっしょで、あどけなさは神の領域に近いという
感覚の現われなのかな、とか。

たとえば、【神業】かみわざ
よくサッカーなんかですごいプレーをこう表現したりする。
スポーツでも伝統工芸でも神業と評される動きに共通しているのは、
そこに思考が介在していないことで、人がそこに神をみて
神業と表現するのは実は自然な印象なんじゃないかなと。
思考を超えた領域のことを人は「神」と表現している
のだと思う。たぶん。

たとえば、【時間を忘れる】
よく何かに没頭(これもすごい表現だ!)している時に使われる。
実際、何かに夢中(これもね)になっているとそんな瞬間がある。
日常生活で時間感覚を失うことはまず不可能で、
意識してできることではない。唯一できるのは
そのことを意識していなかったときで、
「忘れる」ことでしか時間から自由になることは
できないのかな、とか。

…てかいちいちこんなこと
「考えてる」からダメなんだって。
ぐるぐる…。

0 Comment, 0 TrackBack | category: /alternative/alteredstates | permalink

Comments

Let's have a talk!

  • コメントはお気軽に。お待ちしてます。
  • コメント文以外は任意です。URL/E-Mail は公開されます。
  • 文中のURLには自動的にリンクが張られます。

TrackBacks

Let's connect! - TrackBack ping me at:

http://www.kiryuusha.com/blosxom.cgi/alternative/alteredstates/120204a.trackback