問うことをやめれば
それが答えだ。
ある命題をa、a'、a''...とする。
命題(a、a'、a''...)の無限集合をAとする。
その補集合をC(A)とする。
すべての要素命題(a、a'、a''...)をみたすとき、
Aが成り立つとする。
すべてはAである。
「世界はC(A)である」ということまで含めて
すべてはAである。
そして
逆もまた真なり。
すべてはC(A)である。
「世界はAである」ということまで含めて
すべてはC(A)である。
つまり、
世界はAであるけれども、
「世界はAであるということ」は
C(A)を含むし、
世界はC(A)であるけれども、
「世界はC(A)であるということ」は
Aを含む。
これらの論理は自己再帰性を有するので
言葉で厳密に定義することはできない。
そして、この不毛な論理ループですら
愛や神や真や善や美を
とらえることなどできやしないのだ。
そして
すべては自由である。
「世界は必然である」
ということまで含めて
すべては自由である。
つまり、
世界は自由であるけれども、
「世界は自由であるということ」自体は
必然であるし、
世界は必然であるけれども、
「世界は必然であるということ」自体は
自由である。
考えないことを考えること
考えることを考えないこと
真理は真理でないものと同値だ。
集合Aはその補集合C(A)と等しい。
A=C(A)
この命題が真であるということは、
つまりこの命題は真ではないということだ。
A=C(A)⇒¬(A=C(A))
…そして、ここが重要なのだが、
真理が真理でなかったところで
日常はつづくし隣りのねこは
ひなたぼっこをつづけるのだ。
あたかもこれこそが
真理であるかのようにね。
でもね、
君に出会ってわかったんだ。
君を見逃さないために
神さまがつけてくれたサイン
なんじゃないかってね。
では我々の日々の営みは
すべて無駄だというのか?
いや、そんなことはない。
探すという行為にこそ
探している対象が宿るのさ。
愛なんてない。
でも愛なんて知らずに
愛し抜くことはこっけいで
美しいだろう?
それは愛なんじゃないかな。
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