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朝日カルチャーセンターでの講座。
http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0410koza/A0202.html
*講座の概要
見田宗介「マグリット、ダリ、ミロ 芸術社会学入門」
**講座のねらい
芸術社会学とはどのような研究なのでしょう。
マグリット、ダリ、ミロ、を中心とする、現代美術の作品を共に鑑賞しながら、
現代社会、現代人間、現代文化との関連を解明し、現代芸術の栄光と、困難と、可能性とを考えていきます。
大学の「美術」専攻の学生のための、入門的な授業の一部分をベースとして話します。
**期間
2004年10月2日、23日
土曜 18:30〜20:00
*遅刻
見田先生、いきなり30分以上遅刻。
その間、同日に別の講座があった[[大澤真幸]]さんが急きょお話。
「見田先生はたいてい30分以上遅刻なさいます。ですからみなさん、驚かないでください。」
「なにしろ『[[時間の比較社会学]]』をお書きになった方ですからね。」
「この時間を、無駄だとか無意味だと思わないことが重要です。
そう感じるということは、既にある種の疎外が始まっているということです。」
「見田先生は私が最も尊敬する人です。学生のころはとてもかなわないと思っていました。」
「若い人の中には見田先生にお会いしたことのない方もいらっしゃるでしょう。
でも、『その人に会ったことがある』のと『ない』のとでは大きな違いがあります。」
んで、見田先生登場。
「まぁ、その…、持つべきものは優秀な弟子といいますか…」
*テーゼ
「芸術は時代を反映する」
「芸術は時代を超える」
この2つのテーゼは方向として矛盾する。
20世紀の芸術を考える上での、この困難を取りあげる。
*現代美術の3つのステージ
第1ステージ: 1900年〜1920年代
第2ステージ: 1930年代〜1950年代
第3ステージ: 1960年代〜
宇佐美圭司『&link(20世紀美術,http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4004303370/qid=1097471155/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/250-0497871-6361843)』岩波新書
に引用されているミラン・クンデラ『&link(不滅,http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4087603695/qid=1097471367/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/250-0497871-6361843)』のはなし。
--(
主人公ルーベンスはある日ニューヨークの&link(MoMa,http://www.moma.org/)を訪れた。
当時MoMAの2Fには20世紀前半(第1ステージ)の作品が展示され、
3、4Fには20世紀後半(第3ステージ)の作品が展示されていた。
ルーベンス(=クンデラと考えていいだろう)は2Fの展示は賞賛するが、
3、4Fについては評価しない。
(↑このへん『20世紀美術』を持っていないのであいまい…。どなたか正確な引用を。)
--)
このクンデラの批判を手がかりに、20世紀美術を考えてみたい。
*20世紀前半パリ
, , 生没年 , パリに出てきた年 ,Wikipedia
,-, 生没年 , パリに出てきた年 ,Wikipedia
,マチス,1869 - 1954,1891,[[Wikipedia:アンリ・マティス]]
,ブラック,1882 - 1963,1900,-
,ピカソ,1881 - 1973,1900,[[Wikipedia:パブロ・ピカソ]]
,エルンスト,1891 - 1976,1917,[[Wikipedia:マックス・エルンスト]]
,ミロ,1893 - 1983,1919,[[Wikipedia:ジョアン・ミロ]]
,ダリ,1904 - 1986,1928,[[Wikipedia:サルバドール・ダリ]]
,マグリット,1898 - 1967,1927,[[Wikipedia:ルネ・マグリッド]]
(クンデラがあげた6人 + マグリッドは「私が好きで付け加えた」)
いずれも若いときにパリに出てきている。
ほかにも、シャガール、モンドリアン、モディリアニ、藤田嗣治、ルオー、ユトリロ。
**&link(エコール・ド・パリ,http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%AA)
「パリ派」。特定の学校ではなく、パリという空間の力。
自由で、革命的。無審査のアンデパンダンは当時パリにしかなかった。
サローン、カフェ、ギャラリー etc. 人々が集まる空間があった。
そこには、詩人、作家、政治家、画商などが集い、自由な出会いと交流の場があった。
共同体(ゲマインシャフト)と市民社会(ゲゼルシャフト)という言葉を使えば、
サローン、カフェ、ギャラリー etc. は、市民社会の持つ自由や交流の多彩さと、
共同体の持つ暖かさや深さを兼ね備えた場であった。
*シュルレアリスムの美学
「解剖台の上でのミシンと洋傘の偶然の出会いのように美しい!」
―ブルトン「シュルレアリスム第一宣言」(←ロートレアモン「マルドロールの歌」から)
マグリッドの絵の鑑賞
絵には描かれている物とは関係のない説明文が書いてある。
ろうそくに「天井」、金づちに「砂漠」といった具合。
シュルレアリスムの美学とは、あるはずのないものが、あるはずのないところにあること。
【Objet:対象】
(その本来の場所と文脈から解き放たれて)自由に浮遊する事物やパーツ。
その偶然の出会いと新しい結合の美学。
【Subject:主体】
共同体から解き放たれて自由に浮遊する現代社会の「個人」たち。
その偶然の出会いと新しい結合の夢。
シュルレアリスムの絵画が与える自由感、開放感と、不安は、
現代社会の人間の恍惚と不安と重なる。
**ミロ
「カタロニア風景」
最初のミロ的な絵。
カタロニアは、ピカソ、ダリ、ミロの故郷。
左上のはしごは自由を求めて逃亡することを表現。
「道化師」
左にはしご、右に猫。
解放、自由へのあこがれを表現。
「月に吠える犬」、「うさぎ」
やはり左にはしご状のもの、右に動物。
月へのあこがれ。
「真夜中のナイチンゲールと朝の雨」
はしごが抽象化されてくる。
「青」(丸や楕円が並ぶだけの抽象的な作品)
突き抜けた自由や開放感がある。
抽象というと、冷たい方向にいくことが多いが、
ミロの場合は幸福感や暖かさがある。
「題名忘れた」(丸にはしご。晩年の作品)
暖かくて生命力に満ちている。
ミロの生涯の勝利の宣言であるという評もあるが、
私もそう思う。
**ダリ
「欲望の謎、母よ母よ母よ」
最初のダリ的な絵。これ以前のダリはダリ的な絵は描かなかった。
20世紀初頭のパリが、どれほど場所の力をもっていたかということ。
右下にたまごがある。マザーランドへのあこがれ、なつかしさ。
ミロも絵もそうだが、シュルレアリスムの絵には、
左上に対象、右下に主体(作者)を対置したものが多い。
対象へのあこがれ、主体の不安を表現している。
根本的な人間の欲望は二つあると僕は思っている。
・翼を持つことへの欲望
・根を持つことへの欲望
人間はこの二つの欲望のダイナミズムや矛盾を生きる。
パリに出ること : 翼を持つこと : 市民社会(ゲゼルシャフト)
母よ母よ母よ : 根を持つこと : 共同体(ゲマインシャフト)
「ポルトガルの聖母」(聖母像に穴があいている)
古典的な美学と現代的な美学が同居している。
開放感、自由感、不安感。
「レダアトミカ」(人妻と鳥が浮遊している)
突き抜けた開放感と同時に、浮遊感、不安感、無根拠性。
「瞑想するバラ」(バラが空中に浮いている)
人は地上から離れることはできないが、
瞑想によって僕らは地上から離れることができる。
**マグリッド
「ピレネーの城」(城が建っている岩ごと浮いている)
この大地が根こそぎ浮遊している。
現代人の突き抜けた開放感と自由と不安と孤独が描かれている。
*解脱、自由、解放
「瞑想するバラ」と「ピレネーの城」には、
現代人の開放感、自由感、不安感、孤独感が極限的に純化されて表現されている。
「すべては、自由(liberte)の意味するところによる」
―エリアーデ
liberte - liberation
日本語では気づきにくいが、自由、解放、解脱はつながっている。
前近代人が解脱しようとすると、出家するしかなかった。
出家とは出郷のことでもあった。
ある意味、現代人とは、否応なしに出家してしまった人。
解脱の境地と現代人のおかれている現状は意外に近い。
*ノート
なんだかうまくまとまってないかも。
あやふやなところも多々ありなのであんまり信用しないでね。
画像がないとわかりづらいですね…。- KatoKen 2004/11/21