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筆名を使う意味
執筆中。
もしくは誰か書いてー。
大雑把に言えば、
見田→現代社会についての(そのポジティブな側面も含む)論述
真木→現代社会を超えるための論述
…という使い分けだと、恩師(見田ファン)が言ってました。
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mixiの見田宗介/真木悠介コミュニティのトピック(http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=2867040&comm_id=74099)より
「見田」での仕事は、レイバー(labor)で、
「真木」での仕事は、ワーク(work)だそうです。
「見田宗介氏の歩き方」掲示板 (http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/4287/@geoboard/99.html)より
「見田」の名前で出版されたものは依頼されたもの
「真木」の名前で出版されたものは、本当にご自身でされたかったもの
見田が作田と対談した「職業におけるエロスとタナトス」『別冊経済評論』通号 4 [1971.02.00](NDL雑誌記事索引より)
の中から見田自身の言葉を引いてくると(shiが見田ファンのため長文引用)
「仕事」というのは人間がある社会集団のなかで,具体的にあることをなしとげてゆくということで,
人間にとっての「生きがい」の基本的な構造をそのなかにふくんでいると思います。それは必ずしも「職業」であるとは限らない。
たとえばカフカの「職業」は労災保険局の公務員ですが,彼の仕事は,むしろ文学のほうにあった。
しかし現実の多くの人にとっては,職業が否応なしに彼の「仕事」であり,
否応なしに生きがいの場であることを要求してくるようなところがある。
そのときわれわれにとって「職業」とはなにかということですね。
「職業」が多くの人たちにとって,自己を実現する唯一の場――とまではいわなくとも,
少なくとも基本的な場であると同時に,まさにそれゆえに,自己を喪失し,疎外されてゆく基本的な場であるという2面性,
その矛盾をどう具体的にとらえてゆくかということが,
「職業と生きがい」を考えるときの,基本的な視座ではないかというような気がするのです。
べつのいい方をすれば「仕事」は超歴史的な人間の活動分野のことで,「職業」はその歴史的な存在形態だと思うのです。(同上:19)
真木悠介の名がますます輝いて見えます。
作成日 2006.01.07.22:53 作成者 shi