「さわさわ気流舎(仮)計画」ご興味のある方はお気軽にご参加くださいー。

「さわさわ気流舎(仮)計画」ご興味のある方はお気軽にご参加くださいー。
下記のサイトで気流舎のイベント日程がチェックできます。
http://calendar.yahoo.co.jp/kiryuusha_books
これからのイベント
毎週火曜日【気流学舎 001】『民主と愛国』読書会
10月22日(月)お休みします。
10月24日(水)営業します。
10月27日(土)【気流学舎 009】映画のポケット vol.2
気流舎のメーリングリストもあります。ご参加ください。
ICCシンポジウム「クリエイティブ・コモンズ」
山形浩生×ローレンス・レッシグ×伊藤穣一
に行った。内容の報告は他のサイト(こことか)におまかせして、ここでは僕が思ったことをなんとなく。基本的に、すごく期待してます、クリエイティブ・コモンズ。でもかなり根本的なところで違和感も感じてる。それは、「作者」や「作品」を他から明確に峻別できる、という発想に基づいている点では、既存の著作権法と同じだろう、ということ。サンプリング/リミックス文化を知ればわかるように、もはやそんな単位は意味をなさないように思う。
ロック少年リハビリ日記
クリエイティヴ・コモンズを含むこれらのフリーライセンス運動というのは,逆説的に古典的な「作者—作品」意識を強固にする方向に向かうのではないか。 クリエイティヴ・コモンズは,サンプリングやリミックスといった手法の影響とは異なり,ポストモダンな「作者の解体」には向かうことはない
適切かつ、重要な指摘だと思う。僕の文章はアトリビューション(原作者の明記)は不要だけれども、それは不要なのではなく、原作者なんて特定できないと僕が思っているからだ。僕の書いた文章の作者がはたして僕なのか、僕は確信が持てない。それでもアトリビューション不要のコモンズ証を僕がつけなければいけない矛盾は、深い。
それから、「あいまいさ」は排除できる/排除しよう、という発想も危うく感じる。あいまいさが機能する世界は、明示され、線を引き、アーカイヴされてゆく世界よりも、はるかにクリエイティブなはずだ。
ことばとブログとオープンソース
クリエイティブ・コモンズ・ジャパン
HotWired Japan :: 日本の「クリエイティブ・コモンズ」の可能性
2004年3月レッシグ教授来日記念リンク集
無名性、匿名性と文化発展
ローレンス・レッシグ「コモンズ」翔泳社
ローレンス・レッシグ「CODE」翔泳社
椹木野衣「シミュレーショニズム」洋泉社 →ちくま学芸文庫
ジャン・ボードリヤール「シミュラークルとシミュレーション」法政大学出版局
ロラン・バルト「物語の構造分析」みすず書房
0 Comment, 0 TrackBack | category: /alternative | permalink
家賃の更新で10数万円お支払い。イタタタタ。更新料って何なんだろう。理解できない。考えてたら、そもそも家賃の概念も疑問に思えてきた。おそらく土地の私有から生まれた概念だろうけど、いったい大地を誰かが所有するなんてことが、なぜできるのだろう。「土地」というと所有の対象のように聞こえるけれど、「大地」はそんな対象ではない気がする。土地だって大地だ。
土地所有(「社会学事典」弘文堂より)
一般的には土地に対する私的・排他的支配の総称で、歴史上の各時代の生産関係に照応した諸形態が存在するが、資本主義社会では、他の財産=商品一般に対するのと同様の純粋な私的所有という形態をとる。領主に対する農民の人格的・身分的隷従を不可分の内容とした封建的土地所有を否定して二重の意味で自由な賃労働者を創出するためには、その所有者が誰であれ、土地をも近代的な私的所有の対象とすることが不可欠であった。
ふーん、そうか、悪いことばかりではないのだね。でもなぁ、どこかシャクゼンとしない。例えばアボリジニをはじめとする多くの先住民たちにとって大地は、自分の身体や共同体の記憶の延長であるような、あるいは神の住む信仰の対象であるような、そんな存在だったはずだ。今の社会で、大地とのそんな深い関係を望むのは夢だろうか。家賃を払い、代わりに得たつかの間の自由を、せいぜい謳歌するほかないのだろうか。
4 Comments, 0 TrackBack | category: /shop/money | permalink
会社の先輩が相次いで辞めた。3人で独立して事務所をつくったらしい。なんだよ、言ってよ。辞めばなしで盛り上がれたのに。会社ではなんとなくナイショな感じだったので、お祝いを伝えそびれた。そう、新たな人生の始まりなのだ。「おつかれさま」ではなく、「おめでとう」だ。
0 Comment, 0 TrackBack | category: /misc | permalink
大澤真幸「自由な社会の条件」という講座を受けてます。全5回の最終回。例によって自由の話ではない。5日付けの朝日新聞に載った養老孟司さんとの対談「オウム事件が問うたもの」から始まって、仏教、キリスト教、ギリシャ正教、落合仁司の無限集合論 etc.。 愛、神、宇宙、無限といった言葉が飛び交う怒濤の二時間。知的興奮はエクスタシーに近いことを知る。レジュメを書くのは不可能か。アタマくらくら。
落合仁司「ギリシャ正教 無限の神」講談社選書メチエ
無限集合と神の類似性を指摘しているらしい(未読)。無限集合には「部分=全体」というような神と似た性質があり、神の数学的表現としてとらえることも出来る(!)。落合氏はギリシャ正教の三一論を集合論として証明しようとした。ではそこで用いられている「対角線論法」の経験的意味は何か、大澤氏は「愛は信仰に先立つ」ことの証明ではないか、と指摘する。…ね、くらくらでしょ。
自由な社会の条件 そのいち
自由な社会の条件 そのに
(そのさんは書かず)
自由な社会の条件 そのよん
気になった講座をいくつか
「『言葉』の境界を越えて」多和田葉子/大澤真幸
「安らぐこと、表現へ向かって立ち上がってゆくこと」竹内敏晴
「心をひらく体のレッスン」安井 武
0 Comment, 0 TrackBack | category: /alternative | permalink
せつなくて胸が痛む本が二冊。読み返すほどの勇気は今の僕にはたぶん、ない。
中森明夫「東京トンガリキッズ」角川文庫
すべてが終わった。
あらゆることは書かれ、あらゆることは語りつくされた。
もう新しいものなどない。残っているもの、それはコピーにすぎない。
岡崎京子「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」平凡社
むしろ、
単一の
終わりではなく
終わらないことにおいて そう、
決して
終わらないことにおいて
現在療養中。とはいえ、小沢健二の新譜を心待ちにし、TVや客人のギャグに大受けし、また食べ過ぎに注意しながら、パソコンレッスンをはじめ、のんびりとリハビリテーションに励む日々(著者略歴)
1 Comment, 1 TrackBack | category: /books | permalink