* 移動仮設型ブックカフェつくってます *

さわさわ気流舎(仮)計画」ご興味のある方はお気軽にご参加くださいー。

気流舎最新情報

下記のサイトで気流舎のイベント日程がチェックできます。
http://calendar.yahoo.co.jp/kiryuusha_books

これからのイベント
毎週火曜日【気流学舎 001】『民主と愛国』読書会
10月22日(月)お休みします。
10月24日(水)営業します。
10月27日(土)【気流学舎 009】映画のポケット vol.2

気流舎のメーリングリストもあります。ご参加ください。

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Sat, 15 Nov 2003

禅タクロースがやってくる

Buy Nothig Day」が今年もやってきますよ。過剰消費にささやかな異議を表明する世界的なキャンペーン。日本では11月29日の土曜日に決定。

「Buy Nothing day」は特に決められた方法で行なわなければいけない といったものではありません。問題に対して黙り込むことなく、議論して行こう といったアイデアがそこあるだけです。人々の意識を変えることができる、希望の光の種は私達の日頃の行いの中に眠っています。日常生活の習慣において、消費に対して考える姿勢のようなものがあなたの中に生まれてくれば、それで OK なわけです。

いい言葉だ。ちなみに僕はお金もナッシングなので、気づいたら無買日だったということがままあります。

Buy Nothig Day Japan
Culture Jammers jp
ADBUSTERS

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Sun, 09 Nov 2003

}{ アイヌ語の世界 }{

知里幸恵「アイヌ神謡集」岩波文庫
この薄っぺらな文庫から溢れ出る豊穣な世界にくらくらしながら、アイヌ語を学んでみたいと思いました。アイヌはたくさんの神々とともに暮らしていたようです。

アイヌにおいては、獣鳥虫魚介草木日月星辰みな神である。—というよりも、神々が我々人間の目にふれる時に限り、かりにあのような姿をとって現われる、という考え方である。—知里真志保

そしてそれは、神を扱うたくさんのことばと暮らしていたことと同義です。

hayokpe 胄
鳥でもけものでも山にいる時は、人間の目には見えないが、各々に人間の様な家があって、みんな人間と同じ姿で暮していて、人間の村へ出て来る時は胄を着けて出て来るのだと云います。そして、鳥やけものの屍体は胄で本体は目には見えないけれども、屍体の耳と耳の間にいるのだと云います。

神を身近に感じて暮らすということは、本当ならそのことすら意識せずに、普段使うことばにまで浸透して生活を規定している状態をさすのでしょう。ことばが世界で世界はことばなのだとしたら、アイヌ語を学ぶことは今とは違うもうひとつの世界を認識する方法を手に入れることになるはずです。
…って思って探してみたけどアイヌ語を学ぶのは結構難しいかも。早大語研が確実か。とりあえずアイヌ文化交流センター行ってテキストもらってみよ。
イランカラプテー!

アイヌ語ラジオ講座
早稲田大学言語教育研究所
アイヌ語学習者のためのアイヌ語基本文献・音声資料リスト
アイヌ文化振興・研究推進機構

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Tue, 04 Nov 2003

ウ゛ィウ゛ァ、はらっぱ!

武蔵野はらっぱ祭りに行ってきました。なんかいいなあ、この空間は。地に足の着いた天然パーティ。なんともいえない心地よさ。有志で17年も続いてるなんてすごいね。雨だったけど、中山ラビ&ラビ組は時間間違えて観れなかったけど、そんなこと関係なく堪能。来年は気流舎として出るぞー。ラムチャイ(でもラム品切れでラムなし)を飲みながら駅へ。途中の古本屋ジャンゴで、越智道雄「アメリカ60年代への旅」朝日選書を購入。はらっぱ祭りの帰り道にはふさわしい本。

via 21PORTAL

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Sun, 12 Oct 2003

ここはオルタナティブのカテゴリーです。

もうひとつの世界について。

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ここはオルタードステイツのカテゴリーです。

意識の話。とくに、意識について考えるひとつの重要な手がかりとしての変性意識(altered states of consciousness)について。

意識の分離
近代の合理主義が、「意識」というものをごく狭い広さと厚さに限定してしまうまでは、「意識の分離」ないし「分離された意識」というものは、ごくあたりまえの、誰もが知っている現実だった。ところが「合理的な」意識をはみだすと、近代では精神病院が手まねきしたり、神がかりの霊能者にまつりあげられかねない。さもなければただのナンセンスだ。しかし、そういう見方のほうがナンセンスで、意識はもっと広大で深淵で自由な広がりをもっているという主張が、1960年代にわきあがってきた。LSDや幻覚性キノコ、東洋宗教がこの「the altered states」への扉をひらいた。それから20年以上たって、もはやこの扉を閉ざすことはできなくなっている。
—中沢新一(「社会学事典」弘文堂)

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