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2005年10月26日

朝のドナルド・ダック

ゆったりと水に浮かんで彼は言う
ぼくだって神さまだよ

谷川俊太郎「朝のドナルド・ダック」

投稿者 bonga : 11:22 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月09日

ぐるぐるハラショー

ほら、マトリョーシカ人形ってあるでしょう。
人形のなかに小さな人形がいくつか
入れ子になって入っているあれね。

あのマトリョーシカ人形のいちばん外側の
でっかいやつのさらに外側に、
ホントはもっとでっかいやつがいたとするよね。
ぼくたちよりもでっかいから気づかないだけでさ。

さらにその外側にも、
もっともっとでかいやつもいるの。
宇宙くらいでっかい人形。

んで、小さい方にもじつは、
もっともっと小さいやつがいるのね。
やっぱりぼくらが気づかないだけでさ。

するとその
一番でっかいやつと
一番ちっこいやつは
どういうわけだか、
じつは同じやつなんだって!

フフフ。

投稿者 bonga : 22:45 | コメント (0) | トラックバック

球体の奏でる世界

echer.jpg

http://www.mcescher.com/より。


すっごく小さい球体の鏡があったとしますよね。
完全に球体で、なんでも反射してしまう
理想化したやつを考えてみる。
中身はカラね。

ついでに物質的な光だけでなく、
時間とか意識とかそんなものまで含めて
まわりにあるものはなんでも反射しちゃう
と考えてみる。

いいんです、
思考実験なんだから。

そうすると、
その球体(ボンガボールとでも呼んでみましょうか)
は、全宇宙を映し出しているわけです。
球体だし、なんでも反射しちゃうからね。

でもひとつだけ
映らないものがあるでしょう。
そう、自分ね。
全宇宙を映し出している球体には
しかし、その球体自身は映りようがない。

自我ってなんだかそんなもんな気がする。
映し出す外界がなければ自我もないの。
中身はカラだからね。実体はないわけ。
でも、そんなちっぽけで実体のない自分に
全宇宙が体現されてるの。それだけが実体。
もちろん、逆もまた真なりだから、
外界のほうも実体はないのね。

あるいは、こう考えてもいいかもしれない。
ボンガボールが2つあったとすると、
その相手に映ることによってはじめて
自分の存在を認識できるでしょう。
自分が映し出している全宇宙
(そこには相手も含まれている)も
はじめて相手に認識してもらえるでしょう。
でもお互いのボール自身は
やっぱりカラなのね。

つまりその世界には、
映ったり映したりというような、
「関係性」しかないわけ。
世界(=自我)の実体は無だけども、
関係性だけはあって、そうやって
関係の網の目のなかで、なかだけで、
僕ら(その世界ではもはや梵=我だから
自他の区別はもうなくて、「僕ら」は
我の集まりでもいいし、梵でもいいのね)は
存在している(=存在していない)
んじゃないかなって。


うまく言えないや。

投稿者 bonga : 21:19 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月07日

穴をめぐるぐるぐる

大発見!
フェラチオとアナルセックスって
同じ穴だって知ってた?

口とアナルはいつもはなんとなく閉じてるから
気づかないけど、そう思うと
人間ってトポロジー的には
単なるトーラス(ドーナツ型)で

内側と外側とか
自己と外界とか
そんなものが結構あやしく
思えてきたりしない?

…しないか。
てか少なくともフェラしてもらってるときに
そんなことを思ったりはしない。

投稿者 bonga : 20:29 | コメント (0) | トラックバック