« 2005年10月 | メイン | 2005年12月 »
2005年11月26日
こそあどの神
「神」や「美」や「真理」という言葉は、
指示代名詞と同じだと考えてみたらどうだろう。
「これ」とか「それ」とか「あれ」とかと同じ。
直接表現できないものを指し示す言葉。
直接言葉にはできないけれど、
作業概念としては
指し示す言葉があると便利だから、
とりあえずそう表現しているだけ。
でも注意!
実体は空(くう)だから
そこになにかあるわけではないんだよ。
空(くう)を指し示す代名詞としての「神」。
投稿者 bonga : 02:17 | コメント (0) | トラックバック
悟ってはいけない。
悟るということは、
悟る必要などない、
ということを悟ることだ。
悟ってはいけない。
あとはただ日常を暮らせ。
投稿者 bonga : 02:02 | コメント (0) | トラックバック
うまく言えないけどさ
気流舎ブログのほうで書いた
「言葉をこえてゆくもの」のつづきを
いまごろこちらで。
この「言葉にならない」感覚は、
なにも死者に対するときだけでなく、
日常のちょっとしたこと、
たとえば、恋人や、友達や、本や、
映画や、音楽や、景色なんかに対しても
いつでもふつうに湧き起こる感覚で、
そんなときぼくらは
「言葉にならない」とか
「うまく言えないけどさ…」なんて
自分の能力不足のように
照れてごまかしたりするけれど、
ほんとうはそこに大切ななにかが
隠されていることを知っているし、
なんでそれが「うまく言えない」のか
にも気づいている。
言葉が足りないのではなく、
言葉なんていつだって足りないのだ。
うまく言えないのは、それが、
言葉をこえるほど大切ななにかに
触れている証拠だ。
うまく言えないけどさ。
投稿者 bonga : 01:56 | コメント (0) | トラックバック
2005年11月04日
真理を探せ

円を描くにはふたつの方法がある。
ひとつは、直接ぐるっと円を描いてしまう方法。(図左)
もうひとつは、まわりを塗りつぶして円を抜く方法。(図右)
真理(それは神といってもいいし、美といっても、空といってもいい。以下同)
って後者みたいなもののような気がする。
そこには円(真理)が存在するといってもいいし、
存在しないといってもいいの。
実体はないから、それに触れることはできない。

ここでひとつの矢印を考えてみる。
ひとまず、この矢印のことを
「真理を求める姿勢」
とでもしておこう。
座禅を組んだり、絵を描いたり、哲学したり
まあ、なんでもいいです。
人を好きになったり、
日常生活でもいいかもしれない。

真理を求めてるとね、
それなりに見えてくるんですよ、
なんとなく真理っぽいものがさ。
ちょうど円を抜いて描くようにね。(図左)
で、お、これはいけるんじゃないかって
もうちょっとがんばると
結構近くまで行けたりすんの。(図中)
でも最後の最後、
よし、つかんだって思ったら
真理はぱっと消えてしまって、
向こう側から来た自分がいたりするのね。(図右)
円のなかが真理だと思っているなら、
原理的に絶対にたどり着けない。
だから、
真理なんて探すまでもなくここにあるんだよ。
といってもいいし、
いや、求める姿勢にこそ真理が宿るんじゃないか、
といってもいいかもしれない。
投稿者 bonga : 16:40 | コメント (2) | トラックバック
いまここ、の同心円
「いまここ」の話は、
こう考えてもいいかもしれない。
ここに同心円があったとするよね。
円Aと、もっと大きな円B、さらに大きな円C
でも中心の位置はみんなおなじなのね。
同心円だから。
この場合、円ABCは
「おなじ場所にある」って
いってもいいんじゃない?
て、ことはだよ、
自分を中心にして同心円を思い浮かべて、
その円を宇宙大の大きさまで拡大すれば
その最大の円はやっぱり「ここ」にあるんじゃない?
時間についてもおなじね。
投稿者 bonga : 15:41 | コメント (0) | トラックバック
いまここ、の思考実験
世界には「いまここ」しかない。
「いま」という言葉は
ただ一点の瞬間を指すと同時に、
つねにある幅ももっている。
たとえば、幼い頃の友人が久々の電話で
「いま何してんの?」といえば、
その「いま」は、
ここ数ヶ月間のことかもしれないし、
数年間のことかもしれない。
「いまは飛行機があるから楽だよね」
といえば、その「いま」は、
100年間くらいの幅をもっている。
つまり、「いま」の幅は使う側の
意識の大きさによって変わってくるわけだ。
じゃあ、実験。
その「いま」の意識を無限大まで拡大したら?
ほら、世界には「いま」しかないでしょう。
まったく同じように、
「ここ」の概念も拡大できる。
「ここ」という言葉は
ただ一点の場所を指すと同時に、
つねにある幅をもっている。
たとえば、東京から沖縄に行ったひとが
「ここは暑いね」といったら、その「ここ」は、
たぶん数百Kmくらいの幅をもっている。
つまり、「ここ」の幅も使う側の
意識の大きさによって変わってくるわけだ。
じゃあ、実験。
その「ここ」の意識を無限大まで拡大したら?
ほら、世界には「ここ」しかないでしょう。
で、世界には「いまここ」しかないわけだけど、
「いまここ」しかない世界は、
そもそも時間も空間も存在しない気がする。
だっていまとここのひとつしかないんだもん。