http://en.wikipedia.org/wiki/Fractal より。
すげー。フラクタルだ。
ブロッコリーの一種だそうです。
フラクタルな次元では
部分と全体が自己相似になっていて、
部分は全体であり、全体は部分だ。
そうやってぼくたち宇宙はできている。
個は宇宙の部分であると同時に
宇宙全体でもある。
そこに区別はない。
Fractal Desktops
かなりキテます↑。ヤバ。
Archive links も観るべし。
月別アーカイブ: 2005年12月
存在は存在するのか
あるものが「存在している」というのは
時間の関数だろうか。
たとえば、
時刻 T1 と時刻 T2 との間に
存在しつづけることを
ひとはものがそこに「存在している」と
認識するのだろうか。
では、時刻 T1 にそもそも
ものがそこに「存在している」
ことはどう示せばいいのだろう。
つまり、これでは
存在の定義のなかに
存在が前提されてしまっている。
時間の極限である時刻では存在はないが、
時刻と時刻の差である時間の間にだけ、
存在は存在するのだろうか。
まてまて。そもそも
「存在がある」とか「存在がない」とかの
「ある」と「ない」について
ぼくらは話していたのではなかったのか…