Wed, 28 Apr 2004

漢字のドリームタイム

カルロス・カスタネダ「夢見の技法」二見書房

夢見は経験するものだ。夢見はたんに夢を見ることではない。白昼夢を見ることとも、望みをもつこととも、想像にふけることともちがう。夢を見ることによって、わしらはもうひとつの世界を知覚できるのだ。——ドン・ファン

夢は、シャーマニズムにとって重要な「もうひとつの世界」だ。シャーマンは夢見という技法を使って意識の深淵に触れ、世界を説明しようとする。実はその「夢」という漢字が、そもそも夢占いをする巫女(つまりシャーマン)を表すのだという。

白川 静「字統」平凡社

「かん」と夕(ゆうべ)とに従う。「かん」は媚蠱(びこ)などの呪術を行う巫女(ふじょ)の形。その呪霊は、人の睡眠中に夢魔(むま)となってその心をみだすもので、夢はその呪霊のなすわざとされた。(「かん」の字は表示できません。ここ参照)

なんという符合だろう!
いや、おどろくべき符合ではなく、たんに僕たちが「夢」の生い立ちを知らずに過ごしてきただけか。そう、夢は睡眠時の幻などではない。心を開こうとする者にとっては「もうひとつの世界」を垣間見せてくれる入り口なのだ。そして、そのことを「夢」という漢字は数千年にも渡って示し続けてきてくれた。夢のなかで蝶となった荘子は、百年を花上で遊んだという。目が覚めてどちらが現実かを問う必要は、もうないだろう。もちろんどちらも、だ。

…なんてことを書いてますが、一応注釈。
「白川漢字学」は呪術的、祭祀的色彩が強く、これが一般的な解釈かというとそうでもないようです。例えば角川「大字源」も、大修館「大漢語林」も、「暗いなかで見るもの」という程度の説明しかしていません。かなりの温度差があります。

どうしてこんなことになるのかというと、一般的な解釈は主に中国の古典に依っているところを、白川さんの場合は、さらに遡った甲骨文字の研究の成果も加味しているからのようです。甲骨文字が発見されたのは1899年であり、それ以前の古典を絶対視するのはおかしいだろう、というわけです。なるほど。さらに、白川翁は漢字を通して無文字時代の意識にまで迫ろうとします。

漢字の構造は、その文字体系の成立した時代、今から三千数百年以前の、当時の生活と思惟のしかたを、そのままに反映している。あるいはまた、それより以前の、文字がまだなかったいわゆる無文字時代の生活と思惟のしかたが、その時点において文字に集約され、その一貫した形象化の原則に従って、体系的に表現されている。漢字の歴史は、その無文字時代の意識にまで、遡ることができるものといえよう。(「字統」)

なんと壮大な漢字の宇宙なのでしょう。 残念ながら僕はどちらに妥当性があるのか判断する知識を持ち合わせていませんが、白川漢字学の方がはるかに豊かな「夢」を感じますよね。

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