「さわさわ気流舎(仮)計画」ご興味のある方はお気軽にご参加くださいー。

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下記のサイトで気流舎のイベント日程がチェックできます。
http://calendar.yahoo.co.jp/kiryuusha_books
これからのイベント
毎週火曜日【気流学舎 001】『民主と愛国』読書会
10月22日(月)お休みします。
10月24日(水)営業します。
10月27日(土)【気流学舎 009】映画のポケット vol.2
気流舎のメーリングリストもあります。ご参加ください。
自分達が生活している東京にはさまざまな良質の音楽が溢れているのに、それを伝えるメディアがない。じゃあ、自分達で作ろう!
知らなかった。選曲が偏っててイイ! もちろん、偏っているのはメジャーなマーケットの方なんだから、好きな音楽は自分たちで配信すればいいのさ。なんと友達のバンドも発見。ホントに音楽好きな人たちみたいでリスペクト!
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ポール・ギルロイの提唱する「オルタナティヴな公共圏」という概念が気になってます。なんとなく僕が気流舎でやりたいのはこれなんじゃないか、という気がしたりして。もっと知りたいので読んでみたいのですがー、邦訳出てないんですね、ギルロイって。とりあえず日本語で読める文献をまとめてみました。
『ブラック・アトランティック』月曜社近刊
『スモール・アクツ』月曜社近刊
「ディアスポラ再考」『10+1』No.4 1995年
「カルチュラル・スタディーズと民族絶対主義」『思想』第854号1995年
「主人、女主人、奴隷、そして近代のアンチノミー」『現代思想/カルチュラル・スタディーズ特集』vol.24-4 1996年
「人種と映画」『現代思想/カルチュラル・スタディーズ特集』vol.24-4 1996年
(毛利嘉孝「ポール・ギルロイの『ユニオン・ジャックには黒はない』を読む」『STUDIO VOICE』vol.249 1996年)
「音楽と暴力:ポール・ギルロイの音楽論」『現代思想/ブラック・カルチャー特集』vol.25-11 1997年
「どこから来たかじゃねえんだよ、どこにいるかなんだ」『現代思想/ブラック・カルチャー特集』vol.25-11 1997年
「英国のカルチュラル・スタディーズとアイデンティティの落とし穴」『現代思想』vol26-4
「バーミンガム大学カルチュラル・スタディーズ/社会学部強制閉鎖について」『インパクション』133 2002年
つーか、上野、毛利以外はほとんどいないのね…。
ググっただけの二次情報なので注意。
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内田さんの本を読み、マジでブッとんだ。そして、手に入るすべての内田さんの本を集め、読んだ。
という高橋源一郎にならって
内田 樹「寝ながら学べる構造主義」文春新書
を読んでみる。ロラン・バルトの項でことばへの興味が俄然再燃。そうだ、ことばだことば! バルトだバルト! とか思って確か持っていたはずの「零度のエクリチュール」だの「物語の構造分析」だの「テクストの快楽」だのを探すが本の山からは見つからず。うーむー。しょうがないので内田の本から引用。
今後、私たちはこの織物(テクスト)は生成的なものであるという考え方を強調しようと思う。すなわちテクストは終わることのない絡み合いを通じて、自らを生成し、自らを織り上げてゆくという考え方である。この織物—このテクスチュア—のうちに呑み込まれて、主体は解体する。おのれの巣を作る分泌液の中に溶解してしまう蜘蛛のように。—「テクストの快楽」
引用元をリンクすることによって「作者」を明示することがブログの特徴だけれど、コピーされ、引用され、リンクされ、そして「読まれる」テクストにはもはや「作者」なんていない。作者を明示しようとしてリンクを張り巡らすこと自体が作者を蜘蛛の巣(ウェッブ!)のなかへ溶解させているのだ。おもしろいね。僕もこの考えには深く賛同。あなたがいま読んでいるこのテクストに作者がいるとはとても思えない。(だからこのサイトのクリエイティブ・コモンズもシェアアライクだけだ。)「作者の死」をコピーライトの原理的な否定と捉えてオープンソースの思想へとつなげるくだりは重要。音楽でもおなじことだよ。
バルトの教訓:本はきちんと整理しよう。
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「アントレ特別編集 独立事典2004」リクルート
毎年2回出ているムック。いつもは立ち読みですませてましたが、さすがに今回はいそいそと購入。前半部分は毎回ほとんど同じなので特に新しい発見は無し。後半は事例集になっていて、かなり参考になるものもあれば、まったく参考にならないものもあって楽しい。いただきものばかりでこども造形教室を開いた2人とか、4坪のアンビエントバーに共感。みんながんばってますね。刺激になります。
しかしいつも思うのですが、独立・開業系の本って、どうしてこう、得体の知れない前向きな上昇感に溢れているのでしょう。「2年目で年商ン千万!」とか。まるでそれが事業を成功させる必須要素のように書かれていて辟易します。身の丈で生きたいと思っている僕としては、この根拠のない拡大・発展志向がイヤだからこそ、ゆったりとお店をやりたいわけで…。でもなぁ、事業計画書に「儲けたいとは思いません」とか書いたらきっと融資してくれないだろうな。いや、別に前向きでないわけではなく、のんびり生きることに関してはかなり積極的なつもりなんですけどね。
OH! MY SHOP
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大澤真幸「自由な社会の条件」という講座を受けてます。そのレジュメ(というか意訳というか)。主に自分用。全5回の2回目。
自由のありか
自由っていったいどこにあるのだろう。カント隊長は悩みました。自由っていうのは、選択できるっていうこと。選択できるっていうことは、因果関係とは無関係ってこと。でも世界は因果関係の集まりだとしたら、自由ってどこにあるんだろう。
スピノザ隊員の案
ある事柄が起こる原因はたくさんある。そのうち、わかっていないものを自由と呼んでいるだけだ。→じゃ、自由の起原は無知だってこと? 知れば知るほど自由がなくなっていくのかい?
マルブランシュ隊員の案
デカルト心身二元論のうち、因果は体で、自由は心にある。その二つを結ぶものは神だ。→うーん、ちと辛くないかい? 僕らは神にご登場願いたくはないんだな。
やっぱり因果関係さんは一人でやっていけるので、自由の入り込む余地などないんだろうか…
ダメットさんがすごいことを言った。
「原因が結果に先立つ必然性はない」ひぇぇぇ。原因が結果に先立つというのは、因果関係の論理からは出てこないらしい。
マクタガートによる時間のエッセンス
A系列: 過去/現在/未来
B系列: 先/後
因果関係はB系列のことしかいっていないのだけど、時間の本質はA系列なんだって。だから、因果関係には実は時間は含まれていない。
因果関係とは、まだ未定の出来事と、すでに確定した出来事を、変化のなかで同じものとして把握することだ。把握するのは自由な意志だから、因果関係に時間を含ませて成り立たせるためにこそ自由が必要なんじゃないか。つまり、因果関係さんは、やっぱり一人ではやっていけなくて、自由のありかもここにあるってこと。
うーん、かなり曖昧。とくに後半は怪しいので信用しないよーに。
実は6日がもう3回目だったのだけど、今回は番外編で「オタクを通してみる戦後日本」みたいな話でした。おもしろかったけど結構長い話だったので、レジュメを書くかは悩み中。書きません。
自由な社会の条件 そのいち
自由な社会の条件 そのよん
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