ちかごろの気流舎

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Thu, 01 Sep 2005

芸術の産まれるところ

どうしてそんなにソバ研が気になるのかというと、
(中沢新一の「対称性」思想全般に共感しているというのに加えて)

最近、芸術とは何かとか、芸術の根源とか、
芸術の発生とか、芸術の条件とか
に興味があって、ソバ研はまさに
そこらへんも対象にしているらしいのだ。

芸術人類学研究所「設立趣意書(草案)」

「芸術の発生学」では、芸術学と認知考古学の
組織的な結合が推進される。たとえば、
ラスコー洞窟壁画に代表される旧石器時代芸術と、
縄文土器に代表される新石器時代芸術の本質を探求し、
その連続性のうちに現代芸術の諸問題を考察する。

僕の興味はもう少しさかのぼって、
表現する欲動(そんなものがあったとして)が
まだ壁画も土器も持たない段階で、
たとえば丸とか四角とかが並んだだけの模様とか。
あるいは、そのフォルムすらも持ち得ない、
色すらもまだ、ただひとつの白い光のなかから分節していない
光の、闇の、世界から、どのように色やフォルムが
シンボルとしてすくい取られるのか、とか…。

もちろん、現代の芸術も
「無意識の奥に潜在している感覚と思考の野生」
に表現を与える行為であって、またそれがなければ
芸術とはいわれない(つまり条件でもある)のだと思う。

だから、芸術の根源とか発生を思考することは、
現代の芸術を思考することとそのままつながるはずで、
そのときに重要なヒントを与えてくれるのは、たぶん、
ホピのカチーナ人形であったり、
アボリジニのチューリンガであったり、
シュールレアリストたちのオートマティズムだったり、
世界中の子どもたちが描くぐるぐるのサークルだったり、
あるいはヒッピーのサイケデリックアートだったり、
ゴアパンに描かれた蛍光色のマンダラだったり
する気がしている。(「シュール」と「トランス」!)

2 Comments, 0 TrackBack | category: /design | permalink

Comments

いとぅか wrote: お久しぶりです!

ソバ研、気になりますね。幼児教育を専攻した当初、
やはり子どもの「何かを表現したい!」という初期衝動を切り口に、
芸術やアート、創造性の成り立ちみたいなものについて、研究を進めたかったのでした。象徴・シンボルに関して、中沢先生の本を読んだ後に「ダヴィンチ・コード」っていうベストセラー本を読む機会があったので、読んでみたら面白かった。この本の中の象徴は、ある程度「意味するところ」があるんですけど。加藤さんが挙げているホピのカチーナ人形たちには、「無」から産まれてきた普遍性を感じます。
関係ないですけど、「human」と「humor」の語源が一緒って、知ってました?

かとう wrote: No title

こんにちは、お久しぶりですー!
お返事遅れてすみません。

ほぅ。いとぅかさんもそうでしたか。
子どもってすごいですよね、ほんと。
やつら大人が達し得ないところに達している気がする。
そういえば『トントンギコギコ図工の時間』» http
も面白かったですよ。

んでやっぱり子どもの絵とか先住民の表現とかには
「創造性の成り立ち」の根源に触れるようなナニかが
きっとあるような気がしてるんですよねぇ。
よくわかんないけどなんとなく。

「humor」の語源は知りませんでした。
そうなんだ。最近人間らしく笑ってないかもー。

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