!!気流舎共同運営への呼びかけ!!
・最新情報は twitter(@kiryuusha)をご利用ください。
・勝手に休んでいたり時間通りに開いていなかったりもします。
・移動仮設型ブックカフェつくってます。→「さわさわ気流舎(仮)計画」

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今回は、日本のことを指すと思われる“絵本の国”などについて書かれた、
第6話を読みます。
日本には独自のすばらしい衣服や食生活があったのに、なぜ、今のような、
ジーンズとTシャツ、ハンバーガーの生活になってしまったのか?
なぜ、いまだに90もの米軍基地があるのか?
なぜ、8月6日と9日に原爆が落とされたのか?
……こうした歴史から、うさぎたちは、今を生きる私たちだからこそ、
以前の世の中では考えられなかった生き方が可能になるのだ!という
“オルタナティブ”な考え方を提示してくれます。
小沢さんが、ライブなどでも繰り返し伝えてきた、大切なキーワード、
“エスペランサ(待つこと、希望をもつこと)”についても触れている、重要な回です。
今回は日曜日の17時スタート。
ゆっくりじっくり話せるように、時間もたっぷり。
おいしいおやつや軽食も用意します。
5話まで読んでいなくてもじゅうぶん楽しめるので、
初めての方もどうぞお気軽にいらしてください。
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季刊誌「子どもと昔話」で2005年10月から連載がスタートした、
小沢健二さんによる『うさぎ!』。
3人の少年少女が「灰色」に立ち向かっていくという寓話を通して、
グローバリゼーション、戦争、自然破壊、
食べもの、先住民、心のケア、など、
いまの世界に起きている問題を多岐にわたってとりあげています。
この会では、みんなで少しずつ『うさぎ!』を朗読して、
そのあと、感じたこと、考えたことを、のんびりゆったり、話していこうと思います。
あるテーマについて議論するというより、
テーマと出会って、個人としてどう思ったか、考えたか、
自分の日々の生活や暮らす社会との関連などを
ひとりひとりが話し、聴く場にできたらと思っています。
月1回ペースで開催し、幅広くさまざまなテーマから、
“これからの私たちの世界のこと”を話していく場になれたらと思います。
日時:9月30日(日)17:00~
場所:気流舎
会費:無料(ドリンクオーダー) ※おやつ、軽食は有料
★第6話を読みます。『うさぎ!』を持っている方はご持参ください。
持っていない方には、コピーを用意しておきます。(コピー代実費負担お願いします)
★内容に関連する資料や本の紹介、歓迎!
主催:「気流舎『うさぎ!』を読む会」
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日時:9月22日(土)
場所:気流舎
時間:19:00~
参加費:投げ銭(One Drink Order)
新しい「生の形態」は如何にして発明できるのか?
今回、私達が設けたこの研究会はそのような「問い」に裏打ちされています。
ネオリベラリズムや管理社会、そしてポスト311という時代状況を生きる私たちは、
如何にしてこの社会経済的な閉塞状況を突破できるのでしょうか。
私たちが直面しているカタストロフ的な状況に対して、既存の法的-制度的な枠組みを
参照項にしてもがいていても、そこでは本来創造的なはずの私たちの欲望は、
すでに出来上がったルールの中での権利要求の主張へと矮小化されてしまうでしょう。
前提とされているルールの創造的な書き換え作業の只中で、
新しい「生の形態」は出来事として発明されなければならないはずです。
「贈与と共有」「新たなる共同性」というテーマとともに、
多数多様性に依拠した発明の企てを、皆さんと一緒に始めていきたいと思います。
ウエケン(気流舎)
第二回目の研究会では小倉美恵子さんの
『オオカミの護符』(新潮社)をテキストに、
「講」について検討します。
関東平野には、御岳山や三峰山など「オイヌサマ」と呼ばれる
オオカミ信仰(大口真神)の聖地が存在します。これらの山岳聖地は、
護符を領付する山岳修験者や神仏和合の信仰の担い手によって、
また平野部で畑作農業などを生業とする各地の「講」の人々によって、
代々守られてきました。
広大な平野に暮らす人々は、生命を潤す水源地であり、
動物たちの暮らす野生領域でもある山々を崇敬します。
村人は「講」と呼ばれるアソシエーションを結成し、
その山々に定期的に詣でることで、農作物の稔りと
生活の平和を祈ってきました。
その背景には森の奥で繰り広げられるニホンオオカミを
中心とする在来の生態系と、在来種の農業によって長年培われてきた、
関東庶民の日常的な食生活の編み目(food web)が存在しています。
私たちの祖父や祖母(おじいちゃん、おばあちゃん)の
世代が触れていた「オイヌサマ」の畏敬とはなにか?
関東平野に暮らす庶民の精神的系譜を二代・三代と遡れば、
その大地に根ざした聖性と共に、野生と農耕という新石器時代以来の
人類が抱えてきた普遍的問題が見えてきます。
この問題を通じて、さらには自然の贈与を共有する
未知のアソシエーションに出会うことができるのではないでしょうか。
コーディネーター: 石倉敏明(明治大学野生の科学研究所 研究員)
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2012年9月17日(月・祝日)
開場 18:00/開演 19:00
ドリンクオーダー+投げ銭
ムビラについて
ムビラ(Mbira、発音はンビーラが近い)とは、
アフリカ大陸の南、ジンバブエ共和国に住む
ショナ族古来の民族楽器。
祭礼や儀式の時に先祖の霊やスピリット(精霊)との
交信をするために演奏されてきた神聖な役割を持つ楽器で、
オルゴールの原型となったとも言われる。
構造は、鉄の棒をハンマーで叩いて作った
平らなキーを一般的には22~24本、
木の板にワイヤーやボルトで締め付けて装着したもの。
両手の親指と右手の人差し指の3本を使ってキーをはじいて弾く。
日本や欧米では、このような形状を持つ楽器を
一様に「親指ピアノ」または「カリンバ」と呼ぶが、
本場アフリカでは国や地域によって楽器が異なり、
それぞれ固有の名称を持っている。
たとえば、中央アフリカやコンゴでは「サンザ」、
タンザニアでは「リンバ」という楽器があり、
ジンバブエでは「ムビラ(mbira dzavadzimu)」となる。
基本的に、ひとつの曲は同じチューニングの
ムビラ2台を使って演奏される。
前奏をクシャウラ、後奏をクチニラと呼ぶ。
西洋音楽では合奏というと、曲をメロディ、リズム、
ベースなどのパートに分け、ひとつのパートをひとつの楽器が担当する。
ムビラの場合、それぞれが全てのパートの音を出し、
それを2台でパズルのように組み合わせることで、
1つの曲が完成するようになっている。
そのため、少しでも二人の息が合わないと曲として成り立たないが、
焦点がかっちり合うと、歌が立体的に浮かび上がってくる。
師、シンボティは良い演奏をよく「ムビラが喋る」と表現する。
実際、ムビラ音楽は「神様との電話」とも呼ばれる。
音楽と言うよりも、経文や、
精霊の言葉と捉えた方が近いかもしれない。
奏者プロフィール
実近 修平(さねちか しゅうへい)
1981年生。ムビラユニット チョコリンガーズのメンバー。
アフリカ・ジンバブエのショナ族のムビラプレイヤー、
Rinos Mukuwurirwa Simbotiから伝統曲などを学んでいる。
現在は、京都を拠点として、東京、静岡はじめ各地で演奏する。
チョコリンガーズblog http://www.voiceblog.jp/chocoringers/
Myspace http://www.myspace.com/1004362283
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夜明け前の社会学カフェ 第2回:
鶴見済 2012年『脱資本主義宣言――グローバル化が蝕む暮らし』新潮社
人間界の外側へ
――どうすれば楽に生きられるのか? 自然とつながること――
「経済のためだから、理想論ではなく現実問題として、仕方がない」。
こんな言葉の前に我々は、どれだけ多くのことを諦め、思考を停止させられてきた
ことだろうか。
「経済のため」とは何だろうか?考えてみるとよくわからないが、この資本主義と
呼ばれる経済の仕組みのせいで世の中はおかしくなっているのではないか?
この地球上で永遠の成長を目指しているのは、我々ヒトだけである。我々だけが右肩
上がりのグラフを理想としている。自然界では、作ったものは廃棄物にするのではな
く、常に分解して再生させながら循環させている。ある生物種の個体数が爆発的に
増えても、限界に近いところまで来れば増加は止まる。ヒトのように、続きもしな
い一方向の動きは目指していないのだ。
「生産から消費へ」の一方向的な世界観には、「生から死へ」の流れしかない。
けれども分解・環元を含めた〈循環的な世界観〉には、「死から再生へ」の過程がつけ
加わっている。生まれて消えるだけの直線的な世界観はとても不安だが、〈循環的な
世界観〉は落ち着いていて安心できる。そして我々が生きるこの〈自然界〉は、循環
的にできている。(本文の一部を抜粋要約 [山括弧要約者])
日本のバブル経済が崩壊した数年後、鶴見済さんは『完全自殺マニュアル』の中で、
当時の日本社会に漂っていた「無力感」とその「延々と繰り返される感じ」についてこ
んな風に書かれています。「僕たちはガマンにガマンを重ねながら、この“身ぶるいする
ほど恐ろしい日常生活”を生きていく。得体のしれない“安定した将来”をしっかり引き
つけておくために。一歩一歩慎重にコースを踏み外さないように気をつけながら。テレビ
のドラマのようなハッピーエンドはない。ただグロテスクな“ハッピー”が延々と続いて
いくだけだ」と。
それから約20年が経ち、私たちは3.11を経験しました。原発は爆発し、放射能は漏れ
続け、それでもなお世界は続いています。しかし、この人間界の「仕組み」はターニング
ポイントを迎えているように思います。
鶴見さんは、新著『脱資本主義宣言』の中で、人間の「生きづらさ」の根っこにある
「経済の仕組み」に代わる「別の仕組み」を提案しています。それは人間をヒト、つま
り、この地球に生きているあらゆる生物種の特殊な形として捉えたときに得られる「本来
の仕組み」です。そのような視点を手に入れたとき、私たちが生きるこの世界に愛着が湧
き、「死」というものへの感覚も変容するかもしれません。
第二回目の夜明け前の社会学カフェでは、著者の鶴見済さんをゲストにお招きし、
「名づけられない革命」の只中にいる私たちにとっての具体的な生き方や価値観について、
考え、話したいと思います。
お時間に余裕のある方は、ぜひ『脱資本主義宣言』をお読みになられてご参加くださ
るとよいかと思います(気流舎でも販売しております)。もちろん当日は、本に書か
れていることをご紹介しますし、鶴見さんからのレクチャーもありますので、「本は読
んでないけれど、これからについて考えたい・話したい」という方のご参加も大歓迎で
す。(K子とt)
日時:2012年9月10日(月)19:30~
場所:気流舎
ゲスト:鶴見済さん
会費:投げ銭
*ワンドリンクオーダーをお願いしております。
主催:夜明け前の社会学カフェ
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