ちかごろの気流舎




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Mon, 29 Sep 2008

夜の知恵カフェ(仮)のお誘い



長らくお待たせいたしました!
かねてより吹聴しておりました
レヴィ=ストロース『神話論理』読書会ですが、
やりたいという人もちらほら集まって来たので
そろそろ現実化しようかなぁと思っております。

で、せっかくなので『神話論理』を読むだけでなく、
『神話論理』読書会を中心にして、神話的思考や
変性意識や先住民的知恵を総合的に学んだり語り合ったり
できるゆるいカフェにできたらいいなと思います。


題して「夜の知恵カフェ」(仮)。

梟は生と死がひとつに絡みあいながら流動していく、矛盾にみちた現実世界の真実を見つめている「夜の知恵」の持ち主であるとされてきた。「夜の知恵」は昼間の理性がつくりあげる社会の秩序を、しばしば攪乱してしまう。理解や情報やものが簡単に伝わってしまおうとするのを阻止して、世界はそもそも矛盾であることをあたりまえの出発点とする、別の位相から理解しなおしてみることを、人間に要求する。
—中沢新一「夜の知恵」『ミクロコスモス』四季社


基本は『神話論理』の読書会。隔週くらいで
平日の夜(夜の知恵ですから)気流舎に集まって、
全員読んでくる形で割としっかりやりたいと思っています。
あとは「夜の知恵」にまつわるあれやこれやを
発表なり雑談なりで交歓/贈与できたらいいなと。
映像や音楽を見たり聴いたりしてもいいですね。
もちろん、会の進め方自体もまずはみんなで
集まって決めたいと思います。

いまどきレヴィ=ストロース
しかも悠長に『神話論理』を読もうだなんて!
と訝しがる向きもあろうかと思いますが、
しかし、ミネルウァの梟は黄昏に飛び立つのです。
現代はある意味、近代的理性そのものの
黄昏とみることはできないでしょうか?
その「昼間の知恵」の黄昏に、人知れず、
大きな翼を広げ、音もなく「夜の知恵」を
持った梟が飛び立ちます。

音を立てずに飛ぶ梟のように、
「夜の知恵カフェ」(仮)も静かに
大きく飛翔し始めることを願っています。


まずは顔合わせと、こんな会にしようではないか
という意見の交換会から。みなさまの
ご参加をお待ちしています。

第0回夜の知恵カフェ(仮)
10月5日(日)20時〜@気流舎


#転送歓迎。興味のありそうな方をお誘いください。
#ロゴとかつくってみる。勝手に拝借した画は Nathaniel P. Wilkerson。
http://www.kiryuusha.com/blosxom.cgi/design/080505c.html
#まぁ酒でも飲みつつゆるく楽しくやりましょう。

よろしくですー。

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自然のレッスン

いつでもどこでもこころに
自然さを意識するようにすること。
日常生活のなかで、ことあるごとに自分に向かって
つぎのように問いつづけることです。

「これは自然だろうか?」

ものを食べるとき。
歩いているとき。
セックスするとき。
友だちといるとき。
なにかをしているとき。

そうして自然じゃないものをひとつひとつなくしていき、
自分を自然なるもの、自然なものの見方、自然な存在の仕方で
武装していくしか、残された道はありません。
—北山耕平『自然のレッスン』角川書店


問いつづけること。

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自由と笑顔



羽根木公園のプレーパークが好きだ。
遊んでいる子どもたちの笑顔がいい。
見ているだけでこちらも元気になってくる。
代々木公園のドッグランも好きだ。

どちらも共通しているのは
そこに自由があることで、
自由は人も犬もいきいきさせるのだろう。

そもそも必要のない施設で、
そこにあるのは与えられた自由だ。
自由を囲うことには違和感を感じる。

それでも信じて遊んでいる子どもや犬を見ていると
なんだかうれしくなってしまうのだ。
そのまま公園なんて飛び出してしまえ!
(きっと怒られる)


#プレーリーダーって楽しそうだなぁ…。
まずはボランティアでもしてみようかな。

NPO法人プレーパークせたがや
日本冒険遊び場づくり協会

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Sun, 28 Sep 2008

野生の PMS あるいは隣りの大自然



ひと月に一度 座敷牢の奥で
玉姫様の発作がおきる
神秘 神秘 月に一度
神秘 神秘 神秘の現象
(戸川純)

けどあたし大自然じゃないし。
月なんて関係ない。
神秘、神秘、神秘の現象。
って純ちゃんは歌うけど、
神秘どころじゃないってば。
痛いし。血みどろだし。落ちつかないし。
(五所純子)

まったくもってなにかと大変そうなんだが
(いやそれに向き合う男だって大変なんだが)
身体と感情のコントロールが利かないってのは
まさに人が「野生」を宿している証拠で
野生を失った動物のヒトとしては
これはもう可能性として捉えてしまって
いいんじゃないかと思ったりする。

月や大自然を否定したい理性自体も
否応無く影響されてしまうってとこがミソ。
(男も含めて)残念ながら大自然ということで。


画像は RLL の新作「I am PMS !!」Tシャツ。いいね。
PMS情報・コミュニケーションサイト「お月さまのごきげん」

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ほんまつ



気流舎図案室でバイトを始めてからというもの
どうにも忙しい。このブログも含めていろいろなものが
放ったらかしになってしまってよろしくない。

バイト仕事で忙しいとは本末転倒だ!
と思うのだが、はて、転倒するほどの
本末など我が人生にあったのかとも思う。

なにをやったっていいではないか。
まぁ適当にのんびりいこう。

…と思えればいいのだが
忙しいといかんせんそんなふうに
思える余裕もなく…。ぐるぐる。


#「本末転倒」は英語で
「fail to put first things first」とか言うらしい。
そういえば「Fisrst Things First 2000」に影響されて
会社を辞めたのだった。fail はしたくないな。

#画像は最近やった『オルタ』最新号「特集1995」
『オルタ』はいつの間にかすごい雑誌になってます。
図書新聞毎日新聞[本]のメルマガ
あまり売っていないのでご購入は気流舎でどーぞ。

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メモ

2008年9月20日(土)〜10月18日(土)
'08 沖縄ドキュメンタリー映画祭
http://www.hosei.ac.jp/fujimi/okiken/top/top-index.html
ヤバイ特集。

2008年10月11日(土)
山尾三省 生誕70年祭「アニミズムという希望」
http://www.shinsensha.com/
長老集合。今福龍太が気になる。

2008年10月5日(日)〜28日(火)
恵比寿 縄 10周年 ありがとう祭
http://www.wacca.com/lj/information/
天草とか naoPeace-K とか。閉店らしい…。

2008年10月28日(火)~11月9日(日)
アキノイサム展@ギャラリー 無寸草とづづ


山水人行けず。ECHOBEATS 知らず。
今福龍太といえば最近お客さんに教えてもらった
葉山の Saudade Books が気になります。クレオールな匂い。

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流れる街に店を出す



 下北沢駅の南口をおりてまっすぐ歩く。まっすぐといっても道自体がゆるやかにくだりながら左へゆっくりと曲がっているので、当然自分もゆるやかにくだりながら左へゆっくりと曲がって歩く。下北沢駅の南口は谷底の北沢川へとくだるかつての沢すじが道になっているようだ。そうと気づけば長い年月をかけて水が重力によって台地を削ってつくった自然の営みと、そこを道として歩いてきた幾多の人びとの記憶を今でも感じとることができる。道に沿って歩くというのはそんな行為だろう。

 しばらくゆくと道は左手からきたもうひとつの沢すじと合流する。水量が多くなり川幅が広くなるように、人びとが合流して道が広くなっている。

 ピエールの店はそんな場所にあった。街のなかにぽっかりと空いた空間に、店の内側と外側の区別もなく街に直接つながっているような奇妙な店だった。「ピエロ」という名のその店は、混沌と自由をそのまま抱え込んで開放されていて、まるで下北沢の街を体現しているかのようだった。立ち退きを迫られたピエールが店を閉めたのはもう三年前のことで、今はその場所に七階建ての白いビルが建っている。このビルは下北沢の再開発にともなう規制緩和によって建てられた。今から思えば空間がぽっかりと空いていたのは再開発のためで、ぼくらがそれに気づいていないだけだった。

 「大規模な再開発計画の進む下北沢に新たに店を出すのはリスキーだよ。」

 また店を出さないのかと問われたピエールはそう答えていた。経営者としては当然の判断だ。街が大きく変わろうとしているとき、借金をして店を出すのはどう考えてもリスキーだ。

 でもさピエール、こう考えることもできるんじゃないかな。街は確かに変わってゆく。変わってゆくことこそ街の生命だともいえる。ならば、ならばこそ店を出すことでその変化に自ら関わってゆくこともできるだろう。ぼくはこの春「気流舎」という小さな古本カフェを下北沢につくった。ピエロのあった場所のちょっと下流だ。流れゆく川のように、変わり続けることによって保たれるなにかがあるとしたら、気流舎をつくったことによって下北沢のなにかが変わって、下北沢のなにかを保つことにつながるといいと思う。よどみに浮かぶうたかたとして、人と情報が集っては流れゆく場になるといいと思う。

 サーカスのピエロは観客を笑わせながら、目には大きな涙をためている。そんな矛盾を生きるのが人生だといわんばかりだ。街だってきっと一緒で歓びも悲しみも包み込んで流れ続ける。沢に水が流れていた太古の昔からこの土地は変わり続けてきたし、変わらずにもきた。流れのなかに生きよ。かつて沢であった街は流れを生きるのには最適だ。


下北沢の再開発計画に関しては以下を参照してください。
Save the 下北沢
http://www.stsk.net/
シモキタの現状を知るための10行
http://www.kiryuusha.com/blosxom.cgi/alternative/070113c.html

初出:『ぐるり』2007/12月号

--

この文章は、中沢新一『アースダイバー』講談社
に触発されて書きました。
画像は1909年の下北沢。赤い点が気流舎の位置。
等高線に注意してみると、東西の尾根に挟まれて
南の北沢川へと下る谷にあるのがわかるだろうか。

こちらも参照↓
下北沢の一万年
そういえば昔書いた『アースダイバー』書評

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あとち




あまり知られていないし
ぼくだってよくわかっていないけど、
下北沢の〈再開発〉は大きくわけて
三つのことが同時に進んでいます。

・小田急線が地下化する
・でっかい道路ができる
・いろんな仕組みでビルが建つ

このうち小田急線の地下化に関しては
もう工事が始まっていて、その跡地に
幅30m長さ2.2kmの空き地ができます。
そこをどう使うのかがこれまたよくわかっていないらしい。
(とにかく住民に明らかにされないことが多すぎる!)
で、ちゃんと住民参加で考えていきましょう
という「あとちの会」が発足。

ビオトープがいいなぁ。
もしくは農地。
イラストは沢野ひとしさん。
あと SHIMOKITA VOICE の記録も公開されてます。


シモキタの現状を知るための10行

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Wed, 24 Sep 2008

ひくのかい定例句会のお知らせ

今月の句会のお知らせです。

 日時:9月27日(土)20時〜
 場所:気流舎
 参加自由、申し込み不要、無料(投げ銭歓迎)

今月から季題を先に出すことにしました。

「台風」(野分、初嵐、二百十日などでも可)
「永き夜」(長き夜、夜長、秋の宵などでも可)
「鶏頭」

投句は五句ですが、このほかの季題で詠んでも、
もちろんかまいません。その場でも詠む時間ももうけます。

また今回は、勉強のために先人の句から、
自分がいいと思った一句を持ってこれる人は、
持参してください。句評をしてもらいます。

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映画のポケットVol.13「女(たち)は二度生まれる」

ゲスト:若尾好き
司会:鈴木並木
09月28日(日)19:00〜21:00(試合展開により延長の場合あり)
@下北沢・気流舎
無料(ドリンクをオーダーすることを推奨)
参加自由/申し込み不要/途中入場・退出自由

筒井康隆のなにかのエッセイで、「ただし非常にやりにくいのである」だとかいう
感じの書き出しのものがあって、なんで文頭からいきなり「ただし」なのかは各自
調べていただきたいと思いますが、わたしももろもろの説明抜きで、ただし非常に
やりづらい、と言いたい気分なのです。今回。

だってですよ(説明してる)、ゲストさんのお名前が「若尾好き」で、若尾文子の
話をするっていうんですよ。そんなの、面白いに決まってるじゃないですか。ネタ
もいっぱいあるだろうし、仙台の実家を見に行った話とか、黒川紀章の選挙運動を
手伝ったときの様子とかについても聞かせてくれるに違いないし。

いや、聞くのはいいのね。楽しいから。自分でもなんかしゃべんなくちゃなんないっ
ていうのがなあ……。好きな女優の、ここがこう好きです、って話すの、恥ずかし
いもん。ん? でもあれか? 毎回毎回、好きな映画の、ここがこう好きです、って
話してるんだから、同じか? じゃああれか? やっぱり茉莉子か。茉莉子しかい
ないか。わたしが「様づけ」で呼びたい女優は。

ということで、めでたく1周年を迎える今月の「映画のポケット」、岡田茉莉子と
若尾文子のふたりを採り上げます。組み合わせの必然性のなさに酔いしれていただ
ければこれ幸い、であります。


*若尾好き(わかおずき):
地元福岡で映画館主だった祖父の影響で、幼少期より映画を貪り喰らう。とはいえ、
とりわけ「作家」を意識して映画を観るようになったのは高校時代から。当時は、
フェリーニと黒澤明に傾倒するごく平凡な映画青年だった。

高校卒業と同時に上京し、邦画の奥深い世界に開眼。中でも、(今は無き)並木座
で観た溝口健二特集の名画群に茫然自失となる。この特集を通して若尾文子という
女優の虜となり、どんな駄作であっても、そこに若尾文子さえ存在していれば全て
を許してしまうという「若尾文子原理主義者」として自己を形成するようになる。

20代半ばにベルリンに亡命。東欧における若尾文子主義の普及に努めるが、「キタ
ノ旋風」の前に敗北を喫し、一年で帰国。以後、ツァラトゥストラのように、(イ
ンターネットという名の)山中に籠る。

「一時期と違い、これほどまでに再認識された若尾文子について、今更何を付け加
えることがあるのか」という怒号に対しては、森恒夫の遺書をもって応答するのみ。
「今ぼくに必要なのは、真の勇気のみです。はじめての革命的試練。—跳躍のため
の。」

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