!!気流舎共同運営への呼びかけ!!
・最新情報は twitter(@kiryuusha)をご利用ください。
・勝手に休んでいたり時間通りに開いていなかったりもします。
・移動仮設型ブックカフェつくってます。→「さわさわ気流舎(仮)計画」

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下北沢駅の南口をおりてまっすぐ歩く。まっすぐといっても道自体がゆるやかにくだりながら左へゆっくりと曲がっているので、当然自分もゆるやかにくだりながら左へゆっくりと曲がって歩く。下北沢駅の南口は谷底の北沢川へとくだるかつての沢すじが道になっているようだ。そうと気づけば長い年月をかけて水が重力によって台地を削ってつくった自然の営みと、そこを道として歩いてきた幾多の人びとの記憶を今でも感じとることができる。道に沿って歩くというのはそんな行為だろう。
しばらくゆくと道は左手からきたもうひとつの沢すじと合流する。水量が多くなり川幅が広くなるように、人びとが合流して道が広くなっている。
ピエールの店はそんな場所にあった。街のなかにぽっかりと空いた空間に、店の内側と外側の区別もなく街に直接つながっているような奇妙な店だった。「ピエロ」という名のその店は、混沌と自由をそのまま抱え込んで開放されていて、まるで下北沢の街を体現しているかのようだった。立ち退きを迫られたピエールが店を閉めたのはもう三年前のことで、今はその場所に七階建ての白いビルが建っている。このビルは下北沢の再開発にともなう規制緩和によって建てられた。今から思えば空間がぽっかりと空いていたのは再開発のためで、ぼくらがそれに気づいていないだけだった。
「大規模な再開発計画の進む下北沢に新たに店を出すのはリスキーだよ。」
また店を出さないのかと問われたピエールはそう答えていた。経営者としては当然の判断だ。街が大きく変わろうとしているとき、借金をして店を出すのはどう考えてもリスキーだ。
でもさピエール、こう考えることもできるんじゃないかな。街は確かに変わってゆく。変わってゆくことこそ街の生命だともいえる。ならば、ならばこそ店を出すことでその変化に自ら関わってゆくこともできるだろう。ぼくはこの春「気流舎」という小さな古本カフェを下北沢につくった。ピエロのあった場所のちょっと下流だ。流れゆく川のように、変わり続けることによって保たれるなにかがあるとしたら、気流舎をつくったことによって下北沢のなにかが変わって、下北沢のなにかを保つことにつながるといいと思う。よどみに浮かぶうたかたとして、人と情報が集っては流れゆく場になるといいと思う。
サーカスのピエロは観客を笑わせながら、目には大きな涙をためている。そんな矛盾を生きるのが人生だといわんばかりだ。街だってきっと一緒で歓びも悲しみも包み込んで流れ続ける。沢に水が流れていた太古の昔からこの土地は変わり続けてきたし、変わらずにもきた。流れのなかに生きよ。かつて沢であった街は流れを生きるのには最適だ。
下北沢の再開発計画に関しては以下を参照してください。
Save the 下北沢
http://www.stsk.net/
シモキタの現状を知るための10行
http://www.kiryuusha.com/blosxom.cgi/alternative/070113c.html
初出:『ぐるり』2007/12月号
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この文章は、中沢新一『アースダイバー』講談社
に触発されて書きました。
画像は1909年の下北沢。赤い点が気流舎の位置。
等高線に注意してみると、東西の尾根に挟まれて
南の北沢川へと下る谷にあるのがわかるだろうか。
こちらも参照↓
下北沢の一万年
そういえば昔書いた『アースダイバー』書評
1 Comment, 0 TrackBack | category: /shimokita | permalink
toku3 wrote: 1970, にすでに 吉増剛造, が書き付けた詩篇では
ああ
下北沢裂くべし、下北沢不吉、下、北、沢、不吉な文字の一行だ
ここには湖がない
詩篇第二三篇、教えられた聖書の一節を
歌のように口ずさむ、意味もなく
ただ湖のイマージュから
薄氷を踏んで
生きてゆくであろう
透明な思惟
やがて歌もなく、詩篇もない
現実にむかって
純白になるであろう
坂道をゆっくりくだってゆく
朝であった