ちかごろの気流舎




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Wed, 15 Jun 2005

そこにあるのは流れだけ

まったく関係のない二冊の本の間に、
深いつながりを見つけてしまうことは
乱脈な読書の妙味のひとつでしょう。

まず一冊。
福岡伸一もう牛を食べても安心か』文芸春秋

食物中の分子と生体の分子は渾然一体となって入れ換わり続けている。つまり、分子のレベル、原子のレベルでは、私たちの身体は数日間のうちに入れ換わっており、「実体」と呼べるものは何もない。そこにあるのは流れだけなのである。

いちおう、
分子生物学的にみた狂牛病に関する本
ということになっていますが、違います。
もはや仏教書です。仏教好きな宮崎哲弥が
的確に指摘するように、本書の真価は

私達(たち)の心身観、生命認識に、
コペルニクス的転回を迫る内容

にあります。

もう一冊。
ヘレナ・ノーバーグ・ホッジ『ラダック 懐かしい未来』山と渓谷社

ラダックの人ほど落ち着いていて感情的に健康な人たちを、今まで私は見たことがなかった。そうである理由はもちろん複雑で、彼らの生き方そのものや世界観というものに基づいている。だが私は次のように信じて疑わない。いちばん大きな要因は、自分自身がより大きな何かの一部であり、自分は他の人や周りの環境と分ちがたく結びついているという感覚である。

インド北部、チベット文化圏ラダックの話。
辺境の地で何百年も続いてきた
光と歓びにつつまれた幸福な生活が、
資本主義モノカルチャーによって破壊されてゆく様が
痛ましく描写されています。

そしてこの二冊の本は、
龍樹中観思想によって深くつながっています。実際、
福岡はチベット医学の聖典『四部医典』を引用し、
ホッジは仏教における「」観念を説明しています。

人は、生命としても生活者としても
すべてにおいて流れのなかにあるのです。
いや、なかにあるのではなく
流れしかない、のです。

龍樹は「関係性」としての存在/否存在について
こう述べています。

存在を信じる者は牛のごとく愚かである。
だが、存在しないことを信じる者はさらに愚かである。

むろん、愚かなのは牛ではなく、
生命の流れに気づかずに牛に肉食を強い、
資本の流れに気づかずにグローバリズムを押し進めている
私たちの方なのでしょう。

6 Comments, 0 TrackBack | category: /books | permalink

Comments

Ken-U wrote: おじゃまします

旅に出られるそうで。とても羨ましいです。今のぼくには、自分の脳内やこの東京を旅行するくらいしかできそうにありません。それもけっこう楽しかったりするんですが。

食文化が破壊されていく現状には考えさせられます。それよりも、この問題に対する無関心の方が深刻なのかもしれません。BSEに対する関心の低さにそれが表れているような気がします。ぼくたちは肉骨粉を食わされる牛に似ています。

龍樹という名前を見て、インドで活動している仏教家の佐々井秀嶺氏のことを思い出しました。たしか彼は龍樹の生まれ変わりを自称しているはずです。日本にも、ああいう狂気が必要になったりして。そんなことを考えてしまいました。

旅先でもこのブログを更新していただくと嬉しいです。

かとう wrote: 旅に出ること出ないこと。

『アースダイバー』僕も買いましたよ。
まだ読んでないですけど。

これから旅に出ようとする僕が言うのもなんですが
旅に出ようと出まいと、結局は一緒のような気がしてます。
『アースダイバー』のように、東京だって意識を変えれば
いくらでも違う顔を発見できるし、自分の中になんてもう
それこそ宇宙と同じ広さがあるわけで。

そういえば、大神島のおばあが
「私は島から出たことないよ」って言ってました。
でも彼女は、神さまをすごく身近なものとして感じています。
島の大きさの生活と、神さまほどの大きさの意識が
彼女のなかでは自然に生きられているのです。
東京からそれなりに遠くに来た気分だった僕は
なんだか地表上の自分の移動なんて
とても小さなことのように感じたのでした。

まあ、それでも、そんな体験が出来たのも
のこのこ出かけて行ったからで
やっぱり旅することも大切だよなあ、と思ったり。
ぐるぐるしながら歩いてます。

かとう wrote: あ

いま気づいたけど、
誰しもが常に人生という旅をつづけているとしたら、
一カ所に居ようが移動しようが、やっぱり
そこにあるのは流れだけ
なのかもですね。

みんな旅人。いつも旅。
旅の途中で出会ったり、分かれたり。
ちょっと休んだり、また出発してみたり。

おー、なんかロマンチックだな。<俺。

Ken-U wrote: 旅

たしかに。

非日常的な旅と、日常の中の旅を繋げ合わせて考えると、人生自体が大きな旅であるように思えてきますね。そこにあるのは流れだけなのかもですね。

tokoro wrote: No title

>分子生物学的にみた狂牛病に関する本
ということになっていますが、違います。
もはや仏教書です。

この指摘に理性を感じましたのでコメントしてみます。
こういう「タイトルに偽りアリ」な感じの本は、なんだか騙し討ちみたいで私は苦手です。肩こりがひどくて近所のカイロプラティックとかに行ってみたら「これでガンが治った人もいる」とか言われて不要な健康食品を強固に薦められたみたいな感じの苦手さです。

しかし・・・・このブログは一見そういう私が徹底的に避けている「苦手」な感じのまさしくそのものなところを、「苦手な感じではない」風に書いているのでなんだかとてもびっくりしました。

インドは行きたいけれどももう私の年では無理そうな気がします。
・・・・・しかし考えてみれば確かにどこにいても「人生は旅」ですよね。

かとう wrote: はじめまして

重要なご指摘ありがとうございますー。
そのお気持ち、よくわかります。
もしぼくが「苦手な感じではない」ように書けているのだとしたら、
それはまさしくぼくもその「苦手」な感じが「苦手」だからだと思います。

気流舎のあつかう範囲にはかなりビミョーな感じの
ものもたくさんあります。かといってそれらをまとめて
避けたり否定したりしたくもないので、
対象や表現などにはできるだけ気をつけて書いているつもりです。
気づいていただけてうれしいです。

インド、機会があればぜひ行ってみてくださいな。
やっぱりオススメです。
その人の年齢にあった旅というのはいつでも
あるはずだと思ってます。
きっといい旅になりますよ!

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