ちかごろの気流舎




!!気流舎共同運営への呼びかけ!!
・最新情報は twitter(@kiryuusha)をご利用ください。
・勝手に休んでいたり時間通りに開いていなかったりもします。
・移動仮設型ブックカフェつくってます。→「さわさわ気流舎(仮)計画


Fri, 27 Aug 2004

お茶とご飯の日々

一人暮らしをはじめたころ
「日常茶飯事」という言葉はすごいなって思った。
そう、お茶とご飯の事こそ日常なんだって
すごく納得した。

何年か暮らしてみて気づいたことは、
日常は思い出せない、ということ。
何年経っても思い出せるような出来事は
日常とは呼ばない。
出来事の記述が歴史なら、
歴史は何も記述できない。

モノより思い出なんてまだまだで、
思い出より、思い出せないこと
の方が大切なんじゃないかと。
で、そこまでいくともう
何が大切で何が大切じゃないのか
なんて偉そうな区別も役にたたなくて、
ただ、お茶を飲んでご飯を食べる日々を
それこそ「大切に」暮らすしかない
気がしたりして。

下のエントリーを書いてて
「思い出した」ので。

2 Comments, 0 TrackBack | category: /misc | permalink

Comments

pola wrote: No title

加藤さんの言ってること。
本当に、その通りだと思います。

例えば愛しい家族のことを想う時、
旅行に出掛けた時の想い出や、お祝い事などを思い出すよりも寧ろ
取り留めも無いこと、
....みんなで揃ってお茶を飲んだり
とか
何を話すという訳でもなくみんなが部屋に集まっている時の空気、
とか
..そんな些細だけれど大切なことが何よりも先に想い浮かんで

ア、これだけでわたし一生シアワセだわ....って思ったりしてね。

だからさ、
「日常の中の非日常」とかさ、偉そうな感じでよくいうけど
日常は日常で
だからこそ、
のものだと思うのよね。

て、なんかエラそお。

いいのいいの、シアワセなんだから、ねえ。
それに尽きますよ、ほんとに。

かとう wrote: そうそう

いいのいいの。だからシアワセって
そこに気づけるかどうか、ということで
本当はすごく単純なことなんだと思う。

Let's have a talk!

  • コメントはお気軽に。お待ちしてます。
  • コメント文以外は任意です。URL/E-Mail は公開されます。
  • 文中のURLには自動的にリンクが張られます。

TrackBacks

Let's connect! - TrackBack ping me at:

http://www.kiryuusha.com/blosxom.cgi/misc/082704a.trackback