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・移動仮設型ブックカフェつくってます。→「さわさわ気流舎(仮)計画」

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【気流学舎 017】「木下恵介映画にみる、戦後民主主義と大衆文化」

日時:2月5日(火)21時より
場所:気流舎
プレゼンテーター:窪田栄一(映像ディレクター)
参加自由、申し込み不要、無料
「ラストメッセージ 映画監督・木下恵介 愛と怒りと」(2006年)
というドキュメンタリー番組を見て、日本人にとっての戦争体験と
「戦後民主主義」、そして大衆文化の変遷を、木下映画を通して
考えていきたいと思います。
木下恵介(1912〜1998)は、1943年のデビュー以来、1998年の「父」まで
計49本もの作品を残しました。黒澤明と並んで、戦後の日本映画黄金期を
築いた巨匠であり、テレビのなかった当時、大衆にはむしろ黒澤映画以上に
支持されていました。
特に、「第一の戦後」最後の年・1954年の「二十四の瞳」は国民映画と
呼ばれるほどの大ヒットとなり、ある年代の日本人の平和意識に決定的な
影響を与えました(壺井栄の原作ものですが、木下の心情をそのまま
映した映画でもあるのです)。たとえば女優・吉永小百合さんは小学校の校庭で
『二十四の瞳』を見てとても感動し、戦争の悲しさ恐ろしさを胸に刻む
とともに、映画界に興味を持つきっかけになったと発言しています。
木下映画には、古きよき日本の家族愛と美しい風土、そしてそれを
破壊する戦争への怒りがきめ細かく描かれていました。それは、廃墟から
雄雄しく立ち上がっていこうと呼びかける男性的な黒澤映画と対照的に、
弱き庶民の「情」を描いた、女性的な作品群でした。その背景にあったのは、
彼の幸せな少年時代と、日中戦争の体験でした。
しかし、それほどまでに国民に支持された木下映画も、高度成長が始まり、
テレビが普及するとともに忘れられていきます。小津や黒澤のように海外
での評価を逆輸入して再評価された監督と異なり、今やほとんど
忘れられた存在になっています。
今回は、番組で使用されていないテクストも紹介しながら、知られざる
木下映画を通して日本の社会意識の変遷をとらえなおし、
今後この国で民主主義や平和意識がいかにして可能になるのかを
みなさんとともに考えていきたいと思います。
とくに、「民主と愛国」読書会に参加されていた方には、また別な側面から
いろいろと発見があるだろうと思います。
なお、事前に映画を見ていなくても大丈夫ですが、さらに深く楽しんでもらうために、
できれば以下の作品をレンタルビデオなどでご覧になっておくことを
お勧めします。(「笛吹川」以外すべてモノクロ作品です)
・特に見ておいてほしいもの
「二十四の瞳」(1954)←国民的反戦映画
「日本の悲劇」(1952)←戦後の混乱
・できれば見ておいてほしいもの
「笛吹川」(1960)←傑作!
「陸軍」(1944)←国策映画
・さらに見る気があったら
「太陽とバラ」(1956)←太陽族批判
「女の園」(1954)←大島渚はこれを見て感動して松竹に入った
「大曽根家の朝」(1946)←戦後の幕開け
「破れ太鼓」(1949)←コメディ
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