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「易」の探索、三回目、「周易序卦伝」を読みましょう。
前回は、易の占いについてその導入部分を紹介しました。
しかし易には占いとは別の顔があります。思想、哲学の面です。
その面を占いと切り離し、「義理易」といったりします。
「『易経』は、四書五経の筆頭におかれ、明治の初期までは
日本の知識層の必読の書であった」(「易を読むために」黒岩重人)
ここでは、江戸や明治の知識人が易による占いに興じていたと
言っているのではありません。教養として易経を身につけていたというのです。
「義理易」に通じていたのです。これはかれらの思想の分母でもありました。
多くの思想家の共有分母として、「易経」があったのです。
江戸幕末に現れた革命家たちの血潮には易が注入されていたと、僕は考えています。
西郷南州は「敬天愛人」と揮毫しました。易を知るまで僕には彼の
「天」がよく理解できていなかった。これは天皇のことではありません。
また「明治」「大正」という年号の出典も易経からです。
当時の日本の知識層には教養として易経があったのです。
今回は、思想、哲学としての易にアプローチするために、
みんなで「周易序卦伝」を読み合わせしたいと思います。
これは非常に短い文章です。六十四卦の成立がドラマになっています。
現代では、易の世界は書物のなかにしかありません。
それが思想、哲学として生きていた時代は過ぎ去りました。
3・11以降、僕は何がこのような事態を招いたのか、考え続けて来ました。
僕の至った結論は、日本の知識層に教養がなくなったという問題が、最大の要因だということです。
政治家、学者、専門家、官僚、マスコミ、権力や利権にしがみつくかれらにはひとしく教養が無い、
ということです。極端に言うと、もし易が日本の知識人のなかに生きていたら、
フクシマのような事態は起きなかったと思います。
明治初期の政治家や知識人には気骨と教養があったから、その思想は生きていた。
田中正造、幸徳秋水、しかし時代は彼らを殺す。近代天皇システムが機能しだすと、
易はさらによけいなものになっていきました。現代の政治屋やテクノクラートは思想を
持たないのが生き残る知恵で、長い物に巻き込まれるのが処世術だと思っています。
それは無教養の証明以外のなにものでもない。しかし近代国家システムにとっては
その方が都合良いのです。かれら新植民地主義者にとって、
原理主義者はその内容に関わらず敵であるからです。
イデオロギーが終焉して、マネー経済が世界を破局に導こうとしている時代、
僕たちの思想の根拠はどこにあるのでしょうか。無念なことに、ぼくにはまだ教養と
よべるものがありません。しかし、思想はかろうじてあります。易経を知ることで、
それに養分を与えることができると、僕は考えています。
日時:4月11日(木)19時〜
会費:無料(+コピー代)
※1ドリンクオーダーお願いします。
講師:かわさきみきお(鍼灸師・美術家・数奇者)
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