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Sat, 12 Apr 2014

第三回スピノザ研究会



気流舎でスピノザ研究会の第三回目を開催したいと思います。
今回はG・ドゥルーズ(鈴木雅大訳)『スピノザ―実践の哲学』(平凡社ライブラリー)の第三章を皆で輪読して読み進めていきます。

僕たちにとってスピノザの哲学―もしくはドゥルーズによって解されたそれ―がなぜ重要なのでしょうか。この本の第一章で、ドゥルーズはスピノザの生きかた、その哲学について簡潔にこのように記しています。

「どのようなかたちで生きようと、また思惟しようと、つねにスピノザは積極的・肯定的な生のイメージをかかげ、ひとびとが甘んじて生きている見せかけだけの生に反対しつづけた。彼等はたんにそれに甘んじているというにとどまらない。生を憎悪する人間、生を恥じている人間、死の礼賛をはびこらせる自己破壊的な人間がそこにはいて、圧制者・奴隷・聖職者・裁判官・軍人の神聖同盟をかたちづくり、たえずこの生を追いつめては、それをさいなみ、じわじわとなぶり殺しにかかり、法や掟、所有権、義務、権威をもってそれを塗り込めよう、窒息させようとしている。まさしく世界におけるそうした兆候をこそ、そうした全自然や人間そのものに対する裏切りをこそ、スピノザは診断したのだった。」 ジル・ドゥルーズ『スピノザ―実践の哲学』(平凡社ライブラリー)p.27


 ここで述べられている見せかけだけの生、それに付随してくる憎悪や恥辱の感情、自己破壊的な衝動を絶えず生産し続けている機制を解体するための戦略を提示すること、これこそドゥルーズやガタリ、あるいは彼等に影響を受けたネグリやハートが試みてきた哲学のプログラムでした。ネグリ=ハートがその主著『〈帝国〉』でスピノザについて言及している箇所をすこしだけ引用してみましょう。


「スピノザは言う、『自由な人間は何よりも死について考えることがない。そして彼の知恵は、死についての省察ではなくて、生についての省察である』、と。」 ネグリ=ハート『〈帝国〉グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』(以文社)p.110


 スピノザが有していたと思われる問いを私たちなりに短くまとめるなら、次のように表現できるかもしれません。死ではなく生の力能を、悲しみでなく喜びの感情を、如何にして高めていくことができるのか。善き出会いと関係性を組織化することを通して。
 恐怖や不安、悲しみの感情で僕たちの生を委縮させて、諸個人の欲望を水路付け、資本の価値増殖に奉仕するような主体化(服従化)がなされるように環境整備をし、〈生〉が有する力能をまるごと労働力として捕獲し、残酷なものを再生産し続けるシステム。この残酷なシステムに絡め取られないために、強度を増していく喜びの感情とともに生きていくために、レンズ職人として生きたスピノザの哲学をドゥルーズが拵えてくれたレンズを通して皆でひも解いてみましょう。

UEKEN―気流舎コレクティブ


日時:2014年4月19日(土)19時30分~
会費:無料
※ワンドリンクオーダーお願いします。
※G・ドゥルーズ(鈴木雅大訳)『スピノザ―実践の哲学』(平凡社ライブラリー)を
参加者の皆さんは各自用意して頂き、可能であれば第三章の部分を通読しておいて下さい。


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