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Sun, 11 Nov 2007

スペクタクルの社会をボイコットするカルチャー・ジャミング

本日発売の『インパクション 160号』インパクト出版会 に、
カルチャー・ジャミングを紹介する文章を書きました。
ぼくの文章はここに載せますが、この号の特集は
「ボイコット 生活から世界につながる」ということで
ほかにも抵抗食の会(仮)Ubuntu の話も載っているので
よろしければ買ってお読みくださいな。

「あなたは、あなたが何を買ったかである。」というのなら
あなたは、あなたが何を買わなかったかで(も)ある。」ということ。


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スペクタクルの社会をボイコットする
カルチャー・ジャミング


 なにも買わない一日というものをみなさんは想像できるでしょうか? なにか特定の商品を買わないのではなく、買うこと自体をしない一日です。あるいは、テレビを見ない一週間というものを想像できるでしょうか? なにか特定の番組を見ないのではなく、テレビを見ること自体をしない一週間です。
 カナダの広告批判誌『ADBUSTERS(アドバスターズ)*1』はさまざまなボイコット・キャンペーンを何年にもわたって展開しています。なにも買わない一日は「無買日(Buy Nothing Day)*2」、テレビを見ない一週間は「TV Turnoff Week」と名付けられてそれぞれ世界各国に広がっています。


アドバスターズ
 アドバスターズ・メディア財団の発行する『ADBUSTERS』は、非営利・購読制(なにしろ AD=広告 BUSTERS=破壊者 ですから広告は載せていません)の季刊誌で世界60カ国・12万部が発行され読まれています。紙面には主に多国籍企業を標的にした過激で攻撃的、皮肉たっぷりな“反広告”があふれています。
 財団の創設者で『ADBUSTERS』発行人のカレ・ラースンは数々のドキュメンタリー作品で賞も受けている映画製作者でした。日本でマーケッティング・リサーチの会社を経営していたこともあります。それらの経験からメディアの欺瞞と個人のこころへの容赦ない侵入に疑問をいだき、メディア変革のために(ひいては世界変革のために)立ち上がったのでした。
 既存メディアの手法を熟知していた彼らが採った手法が「カルチャー・ジャミング(文化の創造的破壊)*3」と呼ばれる、まさにメディアの力を逆手に取った戦術でした。カルチャー・ジャミングは今やそれ自体が文化となって世界的に支持され、多くのカルチャー・ジャマーたちを産んでいます。


カルチャー・ジャミング
 カルチャー・ジャミングと呼ばれる抵抗と創造の新たなムーヴメントはさまざまなかたちをとって世界に現れています。カルチャー・ジャマーたちは広告看板に落書きをして意味を反転したり、過剰な消費をしないよう訴える非CMをつくって放送したり、クリティカル・マスという自転車デモを組織したり、リクレイム・ザ・ストリーツという路上パーティを開いたり、無買日や TV Turnoff Week のような国際的キャンペーンを展開したり、G8 サミットを妨害したり*4、とつねに対象と表現を変えつつ飽くなき抵抗を試みています。
 たとえば、日本を代表するカルチャー・ジャミング・ユニットの RLL(Radical Left Laughter)*5は「wearable idea(着る思想)」をコンセプトにたくさんのTシャツをリリースしています。ここで媒体と様式は問われません。
  また、デザイナーをはじめとする多くのクリエイターたちが参加しているのも特徴です。これはカルチャー・ジャミングの主戦場がメディアであることにも関係します。『ADBUSTERS』は「First Things First 2000*6」というクリエイターのための声明文を掲載し広告業界のプロフェッショナルに変革を迫りました。
 カルチャー・ジャミングでとくに対象とされるのは消費主義、グローバリズム、車社会、たばこ、ファーストフード、ファッション産業などと、それらを強力に煽る広告、ブランド*7、そしてメディアです。
 具体的には、トヨタ、GM、フィリップモリス、マルボロ、マクドナルド、スターバックス、コカコーラ、ナイキ、カルバンクライン、マイクロソフト、CNN、MTV などなどの多国籍企業や「スウェット・ショップ*8」と呼ばれる搾取を前提とした経営を指摘される企業が標的とされます。


詩的テロリズム
「市場によって無数のコードが張り巡らされたスペースにわれわれは生きている。その情報管制に飼い馴らされたブランドの制空権に、RLL はスクランブルをかける。観客が反射的快楽を浴びている管理空間に、アナーキーな記号を Bomb する。*9」
—RLL MANIFEST

 カルチャー・ジャマーたちは消費社会に対して鮮やかに反旗をひるがえします。代表的な手段である「サブバタイズメント(subvert=体制を転覆する、と advertise=広告するの合成語)」では、大企業が何百万ドルも投じて打ち出した広告にちょっとした落書きや合成をしてその裏に隠されたほんとうのメッセージを暴きだします。消費せよ! 買い替えろ! その服はもう古い! あるいは便利でクールな商品がじつは搾取と環境破壊によって成り立っているということも。多くの作品は完成度も高く、サブバタイズメントはクールな商品を一瞬にしてアン・クールなものとして提示する「詩的テロリズム*10」として、日常をずらし見るものに気づきをあたえます。


スペクタクルの社会
「近代的生産条件が支配的な社会では、生の全体がスペクタクルの膨大な蓄積として現れる。かつて直接に生きられていたものはすべて、表象のうちに遠ざかってしまった。*11」
—ギー・ドゥボール

 カルチャー・ジャミングの社会的意義とカルチャー・ジャマーたちの社会的位置を知るためには「スペクタクルの社会」について知る必要があります。カレ・ラースンはカルチャー・ジャマーの系譜について「初期のパンク・ロッカーや、六〇年代のヒッピー・ムーブメント、国際状況主義者(シチュアシオニスト・インターナショナル)と呼ばれるヨーロッパの知的グループ、コンセプチュアル・アートの連中、シュールレアリスト、ダダイスト、アナーキスト、その他の社会的活動家たち」を列挙していますが、「その中では唯一、状況主義者(シチュアシオニスト)だけがアナーキー精神を近代的メディア・カルチャーへの攻撃に向けている。」として、状況主義者を第一の源流にあげています*12。
 そのシチュアシオニスト・インターナショナルの結成者であり、フランスの映画作家・革命思想家のギー・ドゥボールが1950年代に唱えた概念が「スペクタクルの社会」です。スペクタクルとは「見せ物」のこと。この世界は見せ物にあふれ、人びとはあらかじめ用意された見せ物を受動的に見る「観客」であることしかできず、観客であることにすら気づかず、気づかずにいるうちに見せ物のエキストラにすら動員されているかもしれない、そのように抜け出すこともできないどこまでも「与えられた」世界です。ドゥボールは資本主義社会の統治形態をスペクタクルの社会として描きました。
 ラースンとドゥボールがともに映画製作者であったことは注目に値します。スペクタクルの社会はメディアによって完成されることに気づいていたのです。状況主義者とカルチャー・ジャマーがともにメディアを攻撃対象とし、反撃にもメディアを活用するのはこのためです。サブバタイズメントなどにみられる「転用(デトーナメント)」も状況主義者からカルチャー・ジャマーが借用した手法のひとつです。


世界を直接に生きる
 あなたが今日欲したその生き方は、ほんとうにあなたが欲した生き方でしょうか。もしかしたら昨日見たテレビにクールだと思い込まされていた生き方ではないでしょうか。そんなはずはない、とあなたは言うでしょう。ではついさっきコンビニエンス・ストアで買ったそのペットボトルを選んだほんとうの理由はなんでしょうか。いつかおいしそうなCMを見たからでは? どこかでかっこいいポスターを見たからでは? パッケージの色がなんとなく好きだったからでは? そもそもコンビニエンス・ストアでプラスチックに入った外国の水を買う必要はあったのでしょうか?
 わたしたちはまさに見せ物のようにメディアによってあらゆるものがあらかじめ用意された受動的な世界を生きることを強いられています。もはやなにも買わない一日もテレビを見ない一週間も想像することすら困難です。
 そんな日常にカルチャー・ジャマーたちは意表をついて介入します。おまえは本当に世界を直接に生きているのか、と。おまえは今ここの世界を本当に感じて生きているのか、と。


消費の彼方へ
 無買日や TV Turnoff Week などのキャンペーンはそれぞれ消費やテレビへのボイコット(拒否)運動です。しかし、カルチャー・ジャミングの本質は拒否するだけでなく、この消費社会やスペクタクルの社会でただ受動的に生きることをやめ、創造的な生を自ら選び採ることにあります。
 ジョルジュ・バタイユによって深く探求された〈消費〉の原義は〈生の充溢と歓喜の直接的な享受〉*13でした。広告にまみれた日常の消費の彼方に、あるいはスペクタクルのつかのまの間隙に、カルチャー・ジャマーたちは充溢と歓喜の直接的な生への変革の契機をみているのです。

「世界は変えられる。ぼくはまじめにそう考えている*14」
—カレ・ラースン


*1. http://wwww.adbusters.org/
*2. 日本では毎年11月最後の土曜日に実施
   今年は11月24日(土)。
   http://www.bndjapan.org/
*3. この語源は Negativeland というバンドが最初使用したものを Mark Dery が批評文で用いたことによる。
  Mark Dery
  http://www.markdery.com/culture_jamming.html
  日本語で読めるものは
  http://undo-bu.hp.infoseek.co.jp/jamming.htm
*4. カレ・ラースン『さよなら、消費社会—カルチャー・ジャマーの挑戦』(大月書店・原題は『CULTURE JAM』)による。このような新しい運動形態は「カルチャー・ジャミング」とだけでくくられるわけではない。毛利嘉孝『文化=政治』(月曜社)参照。
*5 http://www.rll.jp/
  この稿は彼らの奔放な創造力に大きな示唆を受けている。
*6. 日本語訳は「本当に大切なことを一番に」声明文
  http://www.kiryuusha.com/blosxom.cgi/design/102003a.html
*7. ナオミ・クライン『ブランドなんか、いらない—搾取で巨大化する大企業の非情』(はまの出版・原題は『NO LOGO』)
*8. http://en.wikipedia.org/wiki/Sweatshop
*9. http://mixi.jp/view_community.pl?id=206778
*10. ハキム・ベイ『T.A.Z.—一時的自律ゾーン』(インパクト出版会)
*11. ギー・ドゥボール『スペクタクルの社会』(ちくま学芸文庫)。マルクスの転用からこの本ははじまる。
*12. ラースン、上掲書
*13. 見田宗介『現代社会の理論』(岩波新書)
*14. ラースン、上掲書


加藤 賢一(かとう けんいち)
1975年生まれ。東京・下北沢の古本カフェ「気流舎」店主。元グラフィック・デザイナー。FTF2000 声明文に署名をしてデザイン会社を辞めてしまった。
http://www.kiryuusha.com/


初出『インパクション 160号』インパクト出版会

2 Comments, 0 TrackBack | category: /design | permalink

Comments

clover wrote: No title

ギー・ドゥボールの「かつて直接に生きられていたものはすべて、表象のうちに遠ざかってしまった。」
という言葉がとても響きました。
この春に少し大きな街に出てきて、ファーストな社会に直面し、
人が消費に走らざるを得ないのが何となくわかりました。
人がその人そのままでいるのが難しい社会です。
オルタナティブの提示は地方からかなぁと考えていたのですが、
都市にも消費社会と戦っている人は意外といてくれるのですね。

かとう wrote: No title

いいですよね、この言葉。

都市にいればいるほど消費への圧力や
環境管理型の権力にさらされるので、
消費に対してはカルチャー・ジャミングなどが、
環境管理に対してはグラフィティやスケート・ボーディングなど
都市なりの抵抗のすべがうまれてくるのだと思います。

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